言葉が足りないとサルになる

 友人に紹介された本を今頃になって読了。おじさんは爆笑しながら深くうなずいている。私も社会博徒なのだろうか。

ようするに学校というところは「言葉を使えるようになるための知識ときっかけを探しに行くところ」です。市井で額に汗して働いている、世の中を支えている人々になり代わって、そうやって働いている人々がなかなか出来ないことをできるようになって、最終的にはその人たちの幸せに貢献するために、言葉をうんと覚えて、言葉を自由に扱って、言葉で世界を把握して、言葉を扱うことができる人々の特権的立場から得られた利益を、言葉をたくさん使えないけれども間違いなくこの世の中を支えている人々にお返しするための力をつける場所です。だから、言葉に興味がなく、言葉を使うのが苦手で、言葉を紡ぐことが本当に億劫で、言葉を使わなくても生きていける自信と技量と才覚のある人々にとって、学校というところは無意味なところです(18頁)。

 自分の経験からしても、形から入るということは決してわるいことではない(そこで留まるのはもんだいだが)。よく分からないことでもとりあえず言葉にしてみる、あるいはよく分からない言葉も使って、それでもエラそうにいっぱしの口をきいてみる。後から考えると顔から火を噴きそうなのだが、それでも、そんなことをしているうちに自分がよく分かっていなかったということが分かってきて、それなりに身がつくようなことがある。
 あるいは、気になる本をあえて読まずに無関係というわけでもない他の本を読んでいくようなことをしてみたこともあったな。そしたら、いろいろ勉強していくうちに、あるとき、この本はきっとこういうことが書いてあるに違いないと確信するに至り、頁を開いてみたら、そのとおりのことが書いてあり、かなり難しい本のはずなのにあっという間に読めてしまった。多分、私はその本を意識しながら他の本を読むなかで、その本の理解に必要な言葉を身につけていったのだと思う。
 

言葉が足りないとサルになる

言葉が足りないとサルになる

 その後、こんな本も出てる。
静かに「政治」の話を続けよう

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