最近、ヴェイユ本がいろいろと出ているが、図書新聞の特集で今泉純子氏がインタビューでヴェイユの「無行為の美徳」について論じているのだが、ちょっと否定神学っぽい気もするけど、ここにドライヤーか、すごく納得してしまう。
「無行為とは、自分がしたいと思ったことすべてが不可能になる経験です。ヴェイユはその経験を、自分の力ではどうにもならない必然性との接触とも表現しますが、最終的には必然性に「同意すること」以外にはわたしたちの自由はない、と転向していきます」。「この事態はヴェイユの「不幸」の観念に直結します。「不幸な人」は、言いたいことが沢山あるのに何も言えない。なぜなら「恥ずかしい」からです。「恥辱」が言葉を押しとどめてしまう。社会から放擲されること、見捨てられることがどれほど私たちの生を縛るのかをヴェイユは徹底的に考え抜きました。そして、だからこそ、沈黙を強いられている「不幸な人」には、美と詩を享受する最大の経験が備わっていると逆転させるのです」。
で、カール・ドライヤーの『裁かるるジャンヌ』では「処刑を宣告されるジャンヌと、宣告する司祭。実は、処刑を宣告されるジャンヌのほうが自由で、それが彼女の「存在の美」に現れている。それに接した司祭は、わなわなと震え始める」と。
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