自閉主義のために

 この本、どうしてもこの二つの分け方に違和感を覚えてしまうところがあるのだけれど、近代的な自己の構成の変容を考察したこの本の出版が1990年であるということを考えれば、やはり先見の明があったのだと言ってよい思う。ちなみにギデンズのアイデンティティの本が出るのが翌年。しかし、天野さんはもう一冊出したあとどうしてしまったのだろう。

自閉にむかう自己について、対照をなすスタイルから考えることができる。そのひとつは、同化にむかう融合的なアイデンティティ。いまひとつは、異化する分裂的なアイデンティティである。ともにその欲求がつよく純粋なかたちで現れるほど、その充足は不可能に近づく。すると、そのために人々から逃れ、かわりに自己の領分だけをみたそうとして、そこに他者のない世界をつくりはじめる(136頁)。

 で、前者が「繭化体」としてパラノイア的な欲望に重ねられ、後者が「独身者の機械」としてスキゾフレニックな欲望に重ねられる。違和感を覚えるのは、ドゥルーズ/ガタリにのっているのだと思うのだが、やっぱり、パラノイア/スキゾフレニーという軸なのか、それともその適用の仕方なのか。後者で、レインに触れられてたりするけれど、ボクの印象では、レインの症例はそんなにきれいに分かれないように思える。また、いまではレインの扱った症例は境界例とみなされているようだ。後から気づいたことには、そもそもパラノイアとスキゾフレニーってきれいに対立するようには思えないんだな。
 

自閉主義のために―他者のない愛の世界

自閉主義のために―他者のない愛の世界