コンピューターには何ができないか

 とりあえず、第三部だけ。基本的には同じ発想シェーマで議論がなされていると見てよさそうだ*1。続けて読むと、さらに踏み込んだ議論も期待したいところなのだが---。そして、踏み込むとき、多分、俎上にあげられてよいと思われるブルックスたちのロボットも同じように切って捨てられることになるのだろうか?

われわれが経験の場にある有意義な内容に照準を合わせることができ、事実そうしているのは、この経験の場が、われわれにとって中立的なものではなく、われわれの関心やそこにあるものに触れる能力に基づいて構造化されているからである。われわれが経験するどんな対象も、この場に現れなければならない。したがって、それはそのとき支配的なわれわれの関心に基づいて現れなければならないし、場を生み出した活動が多少変化しても、その活動によって触れられるものとして現れなければならない。われわれは自分たちの関心によって場を創造しているため、そこには関連をもちうる事実しか現れてこないのである。
 したがって、関連性はすでに事実の中に組み込まれている(449頁)。

 

コンピュータには何ができないか―哲学的人工知能批判

コンピュータには何ができないか―哲学的人工知能批判