純粋人工知能批判

 この本、以前読んだときの印象がまったく残ってない。読書日記にも何のメモもしてない。とりあえず、下線を引いたところをを中心に拾い読みしたけどやはり印象薄い。イライザの扱いは軽い(118頁)。インターネット本とかぶるところもあり、あっちで十分な感じもする*1。とりあえず、自分にとって都合のよい記述だけ抜き書き。

プロ段階とエキスパートの段階では、現状に没入するからこそ状況を全体として捉えて過去の経験との類似性を把握することができる。しかし、過去に学ぶという以上は、精神のどこかにさめた部分があるはずである。ある行動を選択した時に記憶に値する結果が得られたとか、これこれの結果から見て将来類似の状況が生じた時は予想や判断を修正する必要がありそうだとか、これまあでは類似の状況としてひとまとめにしてきた予想や判断の仕方からいって今後はわけておくべきだろう、とかいうことを意識できるのは、精神のさめた部分が事の推移を見守っているからこそである。つまり、精神の一部が記憶と微調整し、再分類して、将来の行動に備えているのである。
 しかし、この種のモニター活動さえ停止してしまう瞬間というものが、まれに起こる。いわゆる「無我の境地」で、時間的には短いながらも行動は完璧をきわめ、一瞬の恍惚感にひたることができる(71頁)。

 一方で、「独創性と評されることをよく見ると、過去の事実を型破りかつ意表外のやり方で解釈したケースが多い」(72頁)と。
 

純粋人工知能批判―コンピュータは思考を獲得できるか (アスキー・海外ブックス)

純粋人工知能批判―コンピュータは思考を獲得できるか (アスキー・海外ブックス)