知覚の宙吊り

 やっぱりそうだったのか!この本、面白い。しかし、いま全部読むのはしんどいな。

私が関心を持っているのは、一九世紀以来の西欧において、いかに個々人は、「注意を払う」という能力の観点から、自己を決定し、形成することが要求されたかということである。---。二〇世紀が幕を閉じようとするいま、主体の解体という深刻な社会的危機が、ひとつには「注意」の欠如として比喩的に診断されているということは、意味のないことではない。

知覚の宙吊り―注意、スペクタクル、近代文化

知覚の宙吊り―注意、スペクタクル、近代文化