テイラーのコミュニタリアニズム

 今月の課題図書の読了が難しそうになってきたので、中野さんの本を読んでみる。なお、私はコミュニタリアンとしてのテイラーには興味がないというか、あまりそこにこだわる必要がないと考えるようになったからテイラーを面白がって読んでいるのだと断っておこう。本書でも、マッキンタイヤー、サンデルとはアイデンティティの概念がかなり違うのだとは注がつけられている。

ミードは自己が社会的な起源をもつことに気づいてはいたが、自己における言語と共通空間の構成的な役割を無視していたために、他者の態度が自己に投入されることによって「me」が構成され、それに非分節的な自発性としての「I」が対置される、という貧弱な自己・構成理論をとらざるをえなかった。ミード理論が見落としているのは、「Iが対話的行為の空間での位置づけにおいて定義される、分節化されたアイデンティティとして構成されているというあり方である」(53頁)。

テイラーのコミュニタリアニズム

テイラーのコミュニタリアニズム

 このミード批判が載っている論文The Dialogical Selfを読んでみようと思ったのだが、所収されている
The Interpretive Turn: Philosophy, Science, Culture

The Interpretive Turn: Philosophy, Science, Culture

は絶版*1。でも、これに
Rethinking Knowledge: Reflections Across the Disciplines (S U N Y SERIES IN THE PHILOSOPHY OF THE SOCIAL SCIENCES)

Rethinking Knowledge: Reflections Across the Disciplines (S U N Y SERIES IN THE PHILOSOPHY OF THE SOCIAL SCIENCES)

再録されているらしい。ググルと該当箇所を読めてしまう。
http://books.google.co.jp/books?hl=ja&lr=&id=X-sfj3AiiWUC&oi=fnd&pg=PA57&dq=The+Dialogical+Self+Taylor&ots=2tMralAusI&sig=YyLjXk5_Fl-_NEUcq-Ms87bjbKA#v=onepage&q=The%20Dialogical%20Self%20Taylor&f=false

(追記)テイラーとバーリンの対比についてはこんな批判がありますな。

http://hpt.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/2007_6527.html
 

*1:しかし、そろそろ「なんとかターン」ってやめにしない?あと、個人的には「ナントカからナントカへ」というのもやめてほしい。そんなにものごと簡単に変わるわけないでしょ。