気になったのでちょっと読み返してみる。当時は、共感的に読める部分が多かったのと、それなりに難しいのとで、コミュニケーションに対する理解をのぞけば、あまり気になるところがなかったのだが、いま読むと結構つまづくところも多い。
ここで「強い責任」と呼ばれて議論されているのは、実際には帰責の可能性のレベルの問題で、実際の帰責のプロセスではないよね。そうすると、当時、流行っていた論調の文脈を抜くと、インフレ問題というのがいまではあまりリアルに感じられないな。
それから、架橋な不可能な《制度の他者》を仮設しておいて、契約論的に彼(女)らに説得を試みていくとうのは、当時、とてもユニークだと思ったけれど(でも、なぜ、説得でなければならないのだろう?)、最初の枠組みからして、この話、実際には、どういうタイプの人間にはどの程度話が通じるのかという構成になってしまっているのではないかな。
ところで、ボクはいつも《制度》や《規範》の内側にいるのだろうか?
- 作者: 北田暁大
- 出版社/メーカー: 勁草書房
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(追記)これを見るといまさらのお話でしたな。
http://d.hatena.ne.jp/takemita/20061215/p1
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/review_sociologos/pdf/review0201mitani.pdf