久々に再読、以前より難しいと思うのはなぜだろう。とりあえず、以下をメモ。たとえば、これをガーフィンケルが違背実験のためにどんな状況を作りださなければならなかったかという点(あれは、一種のダブル・バインド状況だと思う)と重ねてみたらどうなるだろう。違背実験を試みようにも、人はかんたんに構成的期待をつけかえてしまうことができるのであった。逆に、実験だとわかったあと、関係に決定的な亀裂が入ってしまったケースもあった。
というのも、不確実な予期の場合には、予期に反する事態が起こりうることが同時に予期されており、しかも、そのことで当の予期そのものが放棄されることはないからである。不確実な予期は、規範化され、ステレオタイプ化され、それゆえにさまざまなやり方で反駁にたいして免疫化されている。予期のなかには、予期の違背に関する説明が組み込まれており、その結果、個々のケースにおいて期待はずれが生じても、なんら問題は起こらず、全体としてはかえって予期構造が確認されることになる。予期は、このようにみずからの内に矛盾を取り込むことによって外的な反駁から守られている。ただそうなると、予期はこの内的な矛盾に耐え、それを処理することができなければならない(146頁)。
---。期待はずれの可能性は、単に無視されるのではなく、むしろ予知され、内的に処理されるのである」。「つまり、期待はずれは、軽視されるのではなく、反対に、道徳的に誇張され、その極端な性質と特別な不名誉によってありそうもないこととされるのである(146頁)。
- 作者: ニクラス・ルーマン,大庭健,正村俊之
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1990/12/10
- メディア: 単行本
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あと、この論文がどんな話か知りたいのでどこかで入手しなければ。
http://jcs.sagepub.com/content/9/4/475.abstract