『災害ユートピア』

「大衆の反応が、助け合いと利他主義、即時対応的な行動、団結の饗宴なら、公共機関のそれは非常にダメージの大きい形でのエリートパニックだった」(291頁)。

 
 この本、とても興味深い。サンデル教授は、震災時の日本人の道徳的なふるまいをたたえていたけれど(まあ、励ますためのリップ・サーヴィスもあるかもしれませんが)、この本を読むと、これは、別段、日本にかぎった話ではないらしいということがわかる。のみならず、足を引っ張るのはむしろ公的機関や権力者の側だと。震災については、関東大震災での朝鮮人虐殺という苦い記憶もあるわけだが、このときも軍や警察、自警団が関与していたとされ、この本のニューオーリンズの話によく重なる。

数十年におよぶ念入りな調査から、大半の災害学者が、災害においては市民社会が勝利を収め、公的機関が過ちを犯すという世界観を抱くに至った。彼らはクロポトキンのようなアナキストたちが長年提唱してきた説の大部分を、静かに承認した。もっとも、彼らは大量の統計で防備し、より大きな社会に秩序については決めつけや結論を注意深く避けながら、故意に中立的な立場を採ろうとしている。それでも、災害時には、人々が機知を働かせ、自分より他人を優先させ、結束させる能力を自由に発揮できる、信頼関係をベースにした開けた社会が必要であることははっきりさせている。実際、わたしたちはいつでもそれを必要としているのだが、ただ災害時には緊急に必要なのだ(173頁)。

わたし自身の印象では、エリートパニックはすべての人間を自分自身と同じであると見る権力者たちのパニックである。競争を基盤にした社会では、最も利己的な人間が一番高い地位に登り詰める。その地位にとどまるために、彼らはクロポトキンがシベリアで発見した事実よりむしろ、社会ダーウィン主義者たちのシナリオに近いドラマを演じきる。権力者は、彼らの最大の恐怖である暴徒たちと同じくらい、残酷にも利己的にもなれるのだ。彼らはまた、自ら罪を犯しながら、自分たちは犯罪を防いでいると信じている(178頁)。