『精神と自然』

 あわせて気になったベイトソンの議論を確認すべく、とりあえずこれを読んでみた*1。まあ、実際、『アサイラム』にはベイトソンから指摘された話とかも出てるし。でも、『アサイラム』よりベイトソンの方がすらすら読めてしまう私のアタマはどうなっているんだろう?しかし、あっさりと書いてるよな〜。最初よんだときは、さっぱりとまでは言わないまでもよくわらかなかった。でも、ダブル・バインドとかあのあたりの話をしているだけでは、ベイトソンの議論の真価は分かったことにはならないと思うんだよね*2

1,精神とは相互作用するパーツの集まりである
2,精神の各部分間の相互作用の引き金は、差異によって引かれる。
「差異とは関係に属する事がらなのであるから。時間上にも空間上にも位置付けられない」(133頁)。
3,精神過程はエネルギー系の随伴を必要とする。
4,精神過程は再帰的(またはそれ以上に複雑な)決定の連鎖を必要とする。
「すべてのシステムは、その中に時間への関わり方を内包している」。「それはシステムに備わった、創発的な特性なのである」(145頁)。
5,精神過程では、差異のもららす結果を、先行する出来事の変換系(コード化されたもの)と見ることができる。
6,変換プロセスの記述と分類は、その現象に内在する論理階型のヒエラルキーをあらわす
「異種間のコミュニケーションは、いかなる場合も、自分の側で作りあげるコンテクストを互いに修正し合っていく、学習のコンテクストの中にある」(160頁)。


 私はすでに2冊持っているというのに、また別の版がでてる。普及版ということらしいが、これは前の版とどこか違うのだろうか?

精神と自然―生きた世界の認識論

精神と自然―生きた世界の認識論

*1:スペンサー・ブラウンへの言及があるのは、まあ、ご愛敬ということで。原著1979年。多分、時間を持ち込めそうなあたりに魅力を感じたのではないだろうか?

*2:ところが、困ったことに、そのあたりをまがりなりにも解説していて日本語で読める本がこれなのだ。

デカルトからベイトソンへ―世界の再魔術化

デカルトからベイトソンへ―世界の再魔術化

やはり、なんとかすべきなのだろうか?最近出ていることを知ったこの本はどうなのだろう?
やさしいベイトソン―コミュニケーション理論を学ぼう!

やさしいベイトソン―コミュニケーション理論を学ぼう!