『相互行為秩序と会話分析』

 来年に向けて、とある課題に取り組まなければならなくなり、そのとっかかりとしてようやくこの本を読む。何をいまごろですが、これ、よい本だと思う。6章がいちばん面白い。しかし、困ったことに、私が議論の軸にしようと考えていたアイデアは基本的にこの本で展開されてしまっている。読んでよかったというべきなのか、読まずにおいた方がよかったというべきなのか。どうしたものやら。いずれにせよ、問題はまさにこの点にあるわけなんだよね。

ゴッフマンは相互行為秩序が「相対的に独立した」領域であることを主張する一方で、その外部には社会構造が実在することを認め、それは相互行為の秩序には還元できないと述べた(17頁)。

 そして、典型的には『フレーム・アナリシス』がそうなのだが、この発想、前述のブルデューとよく似ている。相互行為の要素が「より広い世界」から変換されて持ち込まれてくると考えるかぎり、相互行為内の要素は必ずしも相互行為内で意味していることを表象しない。しかし、これは外在的な判断であり、後からくる相互行為のなかでそれまでの出来事をつなぎあわせることで見えてくるような結果論でしかない。