『オリエンタリズム』

 やっと読了。じゃあ、具体的に東洋人(オリエント)がどのように表象されたかといえば、たとえば、「オリエントの後進性、退行性、西洋との不平等といった命題は、19世紀初頭に、人種差別理論の生物学的根拠をめぐる諸観念といともやたすく結び付いた」(22頁)。「東洋人は、後進的、退行的、非文明的、停滞的などさまざまな呼称で呼ばれる他の民族とともに、生物学的決定論は嘆かわしい異邦人という表現がもっともふさわしいようなアイデンティティを共有する、西洋社会の中の諸要素(犯罪者、狂人、女、貧乏人)と結びつけられたのである。東洋人が東洋人として見られ、注目されることは稀であった」(23頁)。「そしてイスラムは、堕落した(通常は有害で危険な)全オリエントの代表とみなされたのだった」(140頁)。
 サイードは、こうした表象が目的を備えているという。

ヨーロッパの文化のなかのオリエンタリズムが提示する諸表象は、最終的に、我々が言説的一貫性よ呼ぶものを獲得する。それは、歴史のみならず物質的(制度的)存在性をも備えたものである。---。このシステムについて私が力説したい点が、それがあるオリエント的本質ーそのようなものの存在は、私は一瞬たりとも信じないーの誤った表象であるといったことではなく、通常表象というものがそうであるように、それが特定の歴史的・知的・経済的背景のなかで、ある傾向に従って、ある目的のために作用しているということである。言いかえれば、表象とは目的をもったものであり、たいていの場合に効力を発揮して、一つまたは多くの仕事をやり遂げるものなのである。表象とは形成されたものである」(66頁)。

で、バルトの『神話作用』を引き合いにしんががらオリエンタリズムの言語は神話の言語であるという。

私がこれまで議論してきたことすべてにおいて、主要な役割を演じているのはオリエンタリズムの言語である。それは、対立するものを「自然」なものとして共存させ、人間の諸類型を学術的イディオムや方法論によって提示し、現実と関連性とを、それお自身がつくり出した物体(他の言葉)のもとに従属させる。神話的言語とはディスクールである。つまりそれは、必然的に体系的なものとならざるをえない。人間が現実に、言説を意のままにつくり出したり、そのなかで陳述を行う為には、まず彼はーある場合には無意識のうちに、だがいずれにせよ不本意のうちにーイデオロギーと、その存在を保証する制度とに従属していることが必要である。こうした制度は、つねに進んだ社会がより遅れた社会を取り扱うためのものであり、強い文化が弱い文化に対峙するためのものである。神話的言説の主たる特徴は、それが叙述する対象の起源と同時に、自己自身の起源をも覆い隠してしまうことである。「アラブ」は静的な、ほとんど理念的さえいえる類型のイメージで提示され、それが自己実現の過程にある、潜在能力を秘めた被造物として提示されたり、つくらつつある歴史として提示されたりすることは決してない(271-2頁)。

オリエンタリズム下 (平凡社ライブラリー)

オリエンタリズム下 (平凡社ライブラリー)