ヴィヴィオルカ『差異』

 たまたま見かけて購入。ところどころ訳文に気になるところがありますが、問題点の整理として有益。移民も二世以降になると、景気の問題もあって、移民先で社会的に排除され、不安定な生活状態におかれやすくなっている一方で、自分のルーツは縁遠いものになっていき、生まれた土地での生活に馴染んでいる。この二つの落差を埋めるものとして、文化的な集合アイデンティティが動員されることになりやすい。
また、それに対抗するようにレイシズムも浮上してくると。

西ヨーロッパ、とくにフランスではどうか。1950年代、60年代の移民受け入れは、受け入れ社会から文化的・政治的に大きな距離をとる(大きな距離のなかに置かれる)労働者のそれであり、彼らは一般に、やってきた社会の公的生活に統合されることよりも、出身国への帰国を準備するのに執心した。移民たちは労働を通じて社会的には統合されたが、その他の領域では排除されていた。それが、ほどなくして婚点滴製造業は危機を迎え、以来そうした不熟練労働力は不用とされていく。この間、人口政策として受け入れとなっていたもの(フランス)、あるいは当初そうだったもの(イギリス)の所算である人々は、先行世代のそれとほとんど反対の状況に置かれる。彼らは他の世代にもまして失業と不安定な生にさらされ、社会的排除をこうむるが、文化的・政治的には内なる人びととなっている。なぜなら、彼らの生活はその後、両親にとってのホスト国の内部で展開されるからである。しかしまた、レイシズム、差別、隔離化の犠牲となって、拒否を突きつけられ、国民的文化アイデンティティとは相容れない価値をいだきつづけ、このアイデンティティを毀損しているのではないか、と疑われている(30頁)。
 いずこを問わず、移民受け入れは、被支配的行為者のアイデンティティの主張とその社会的要求が互いに結びつき、しばしば強めあい、一つ一つの腐植土となっている。それへの対抗物として、この文化的社会的な分裂作用の表現が、あちこちでナショナリスト・ポピュリストおよび極右の潮流というかたちをとって噴き出している(31頁)。

差異―アイデンティティと文化の政治学 (サピエンティア)

差異―アイデンティティと文化の政治学 (サピエンティア)