森田洋司『「不登校」現象の社会学』

 竹川氏の二著はいじめと私事化との関連についても論じているのだが、議論が中途半端な感じがするので、もっと本格的にこの点について議論をしており、いじめとも無関係というわけではないこの本を読んでみた。「可視性」という概念がちょっと混乱しているような気もしますが、同著者のいじめ本とならんでこれは必読本ですな。教えられるところが大きい。
 学校時代、特別に教員との関係が悪かったとは思わないが、とりわけ中学校の頃、教員というのは「敵」だと思っていて、その思いは逆の立場になったいまでもぬぐい去ることはできない。当時、学校は人柱と連帯責任からなるシステムだと思っていた。何かあるとクラスの代表を選ぶことが強要され、誰かが問題を起こすと連帯責任と称してみんなが叱られた。でも、その分だけ、クラスにはインフォーマルな連帯感もあったように思うが、いずれにせよ、教師を相談相手だと思ったことなんかなかったし、彼らが僕たちを裁く基準をほとんど信頼していなかった。一体、彼らは僕らの何を見ていたのだろう?
 マートンによれば、「可視性」とは集団の成員に規範がどれだけ浸透しているかを知る尺度となる概念であり、「学校社会にも構造的安定化のために、常に成員を「可視化する」さまざまな作用が働いている」(63頁)。このとき「集団構造にとって必要なことは、「機能的に最適度の可視性」であ」り(89頁)、成員がある程度秘密を保持できるように隔離する装置が必要になる。
 この点で、「不登校群」にかぎらず、生徒全般に教師とのコミュニケーションを親密なものにしようとしない傾向がみられる。つまり、生徒には可視性を低くしようとする動きが見られるのである。「たしかに「私秘化」に強い賛意を示す生徒は「不登校群」に多く種具現する傾向がある。しかし、「私秘化」に強い賛意を示す生徒は、出席群・不登校群の別なく過半数を超え、最も優勢な傾向として現れていることにも注意する必要がある」(95頁)。
 しかし、こうした傾向は下手をすると生徒個々人の置かれた状況を、教師がそれだけ適確に判断できなくしてしまう可能性を産み落とす(逆向きの、因果関係も考えられるが)。「もし、問題発生事態の構成の仕方が観察だけに基づくとすれば、教師は現われた行動を生徒の日常生活のコンテクストに位置づけて解釈することが困難になる。そのため、発生事態の構成がまったく見当外れであったり、本質的な要素を見落とし、誤った行動がとられることにもつながりかねない」(98頁)。
 実際、教師からはそうした傾向を確認できる。「ここで注意すべきことは、これまで検討してきた「遅刻・早退」、「非行・問題行動」が、ここで検討している勉強への意欲喪失や授業のつまずきの結果現象でもあるという点である。教師が生徒の欠席を不登校による怠学と判定する時に、勉強への意欲や授業のつまずきよりも「遅刻・早退」「非行・問題行動」に依拠して判断しているということは、要因群よりも結果現象により多く着目していることを意味している」(48頁)。
 いずれにせよ「「不登校群」に見られる「私秘化」への防衛機制は、生徒個人の特質によるものではなく、むしろ学校社会の「可視性」を確保するための「集団装置」とその「メカニズム」の歪みを表象する現象である。いいかえれば。「不登校群」の生徒が担任教師に対して内面を「私秘化」するのは、学校社会の秩序化の歪みの現れであり、集団内のコミュニケーション回路が停滞するのは、学校社会の秩序化の歪みの関数である。したがって、集団に機能的な最適度な可視性を確保することは、生徒についても機能的な最適な「私秘化」に許容することであり、学校社会の適切な秩序化を図る方途でもある」(105頁)。
 しかも、こうした歪みがはねかえってくるのは生徒だけではない。学校や教師の隠蔽体質もこの点に連なってくる(ここでも、逆向きの因果関係を考えることができるが)。「社会からの教育システムに対する期待が大きくなればなるほど、人々は問題行動の多寡を教育行政機関や学校などの組織の機能とその担い手の役割の文脈に照らして解釈しようとすることになる」(108頁)。「このようにして、「生徒の問題行動」は、「読み込み」や「価値づけ」を受けることによって「教師の問題行動」へと変換されることになる」(109頁)。
 他方で、いまや学校へいくことの意味を重視しない生徒や親が増えている。「このように、現代の不登校現象には、欠席(遅刻・早退)を悪いことだと感じている生徒、つまり規範からの逸脱行動だと明確に意識している生徒が多くを占めていることはたしかであるが、他方で、とりたてて悪いことだと認識していない生地も比較的多く含まれていることも事実である」(127頁)。また、勉強や友人関係でのつまづき・いじめが不登校の大きな因子となっている。著者はこうした背景に私事化を見ている。(http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20100814へ続く)

「不登校」現象の社会学

「不登校」現象の社会学