奥井智之『近代的世界の誕生』

 私が調べかけていることと同じようなことを考察した本ではないかと思って読んでみて、「家」という話が一言も出てこないことにちょっと困惑しているのだが、実際のところはいかがなものであろう。

日本における私的なものと公的なものの、おのおの、思想的な淵源をなすものとして、公家的なものと武家的なものという二つの類型をもちだし、同時に、前者は公的なものと、後者は私的なものともまた結びつく者として、両者が互いに相補う関係にあることを示したが、新井白石荻生徂徠を経て、再び裁断された公的なものと私的なものは、以後、いかなる社会層にになわれて、どのような歴史的展開をとげることになるあのであろうか。日本の中世から近世にかけて、公家的なものが、たんに特定の身分としての公家の思想たるにとどまらず、職人や商人からなる、いわゆる町衆、ないしは町人との間に一定の親和性を有し、他方、武家的なものも、同じく、固有の担い手たる武家の思想としてだけでなく、いわゆる士農工商のうち、武士はともかく、とりわけ農民との間に特有の関連を保っていたことはすでに述べたとおりであるが、近世中期以降の社会動向において、公家的なものが、間共同体的な権威として、都市的な関係性を媒介しながらも、他面、農村への浸透を通じて、むしろナショナルな範囲を自ら閉塞させていくのに反してーーー武家的なものは、共同体的な権力として、農村的な関係を規律しながらも、一面、都市との接合を解して、かえってインターナショナルな範域へ自己を開放していくようにもみえるのだがいかがなものであろう(104-5頁)。

近代的世界の誕生―日本中世から現代へ

近代的世界の誕生―日本中世から現代へ