大野正和『過労死・過労自殺の心理と職場』

 これもこの時期、恒例の労働問題に関わる本。読んでいてとても納得。知人たちから聞いた話にもよく重なるし、身に覚えがある話もある。
 日本の企業の従来の特徴は、個々人の職掌がはっきりしない一方で、職場の集団性が高いところにある*1。そうすると、

職場の同僚である先輩が「不慣れ」で「経験が無い」仕事を抱えて助力を求めてきた。記録者にとっては「熟知している仕事」なので、「カバーで引き受ける」ことになったが、いつのまにか「自分の仕事になってしまった(146頁)。

なんて、ことがよくある話だということになる。もちろん、こうした関係が互酬的になされている場合はあまり問題がない。
 ところが、

1980年代の職場変化は、一方に仕事の責任と負担が集中する者と、他方で自分の分担をできるだけ回避しようとする者との二極分化を進行させた。そして、前者の多忙・過労が加速され長時間労働が形成されていった。このミクロの職場レベルでの変化が社会的に現れたのが、長時間労働と短時間労働との並存である(28頁)。

 いま、とりわけ30代、40代の労働時間が長期化する傾向にあるとされているけれど、この世代は景気動向に左右されて、年代ごとの採用数に極端なでこぼこがある。自分の下の世代の社員がなかなか入ってこなくていつまでも下っ端の仕事をやらされているとか、同世代の同僚が少なくて大変とか、上司の数の方が多くて第一線の働き手が少ないとかいう話は、知り合いからよく聞く。他方で、いわゆる一流企業に就職しても最後まで勤め上げることができるのはごく少数だし、賃金は、年功序列と言っても、多くの企業が成果主義的傾向を強めている。となれば、いったいどういうことが起こるだろうか?そのいったんは、この本を参照*2

そのような職場集団性が、1980年代後半から徐々に失われはじめるなかで、なおかつ他者や全体的立場に対する配慮をおこたらなかったメランコリー親和性の強い人々が、職場で孤立無援の仕事の背負い込み状態に陥った結果が過労死・過労自殺だった。さらに二十一世紀に入ると、「心の病」が多くの職場でみられるようになった(177頁)。

 つまり、真面目に働く人がバカを見るような職場が生まれつつあるのだ。

注意しなければならないのは、川人のいう「他者との人間関係を配慮するヒューマンな気持ち」に基づく「チームワーク精神」そのものが過労死・過労自殺を生み出すのではないということだ。「他者への配慮」に応じる”他者からの配慮”の欠如という相互性の喪失こそが問題なのである。人のことを考えて思いやっても、相手はそれにうまく乗じるだけで自分ひとりが仕事を負担するという一方的な関係である。あるいは、「他者への配慮」というかたちで尽くす一方の、なんの見返りもない手応えのなさである(180頁)。相手が「義理を欠く」からといって、自分もまた同じように「義理を欠く」ことを繰り返していると、職場の全体が回らなくなってしまうという危機感が、「仕事に駆りたてる動機付け」となる(180頁)。

 ただ、思ったのはテレンバッハのメランコリー親和性一本槍でいかなくてもよかったのではないかと。ボクは、日本の企業の特質を考えた場合、クラウスの議論が興味深いんじゃないかと思っている。クラウスはゴッフマンを参照しながら、うつ病者の特徴をが役割から距離をとれなくなって身動きがとれなくなること結びつけて説明しているのである。
 人間関係を重視して職掌がはっきりせず、週末も接待があったりする、日本の職場ではそもそも自分の果たすべき役割が曖昧で役割から距離をとるのが難しい。しかも、自分が努力すれば努力するほど、本来自分がやるべきかどうかも分からない仕事が増えていく一方、職場の人間関係も以前のように業績思考でギスギスしているということになれば、ますます役割から距離がとれない状況が生まれてくるだろう。
 また、しばしば上司のパワハラうつ病になって会社をやめたとか(場合によっては自殺したとか)いう話を、耳にしているのだけれど*3、こういうのって、結局、周囲が見て見ぬふりをしているわけだから、まず、職場の互酬的な集団性が既に崩壊しているし*4、本人の気分次第で怒鳴りつけられたり罵倒されたりすること自体きわめてストレスフルなことだけど、それだけでなく、仕事上の問題で不条理に個人の人格が否定されているわけだから、こうした状態が常態化することはやはり役割から距離がとれなくなることでもある。

過労死・過労自殺の心理と職場 (青弓社ライブラリー)

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躁うつ病と対人行動―実存分析と役割分析

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 他にもこんな本が出てますな。

まなざしに管理される職場 (青弓社ライブラリー (42))

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自己愛(わがまま)化する仕事―メランコからナルシスへ

自己愛(わがまま)化する仕事―メランコからナルシスへ

*1:こうした人間関係を重視する職場の特質は、たんに日本の伝統からきているというよりは、終身雇用、年功序列、企業別労働組合といった日本の企業の特徴と親和性が高いと考えた方がよいだろう。つまり、専門職化が進みにくくなる一方で、職場でできあがった人間関係は退職するまで生涯続くことになる。となれば、当然、職場内の人間関係を重視するかたちで仕事が組織されていきやすくなるはずだ。

*2:http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20080416

*3:わたしが聞いた一番すごい話は、「人格障害」が疑われそうなやたらと攻撃性の高い社員がいて、他の同僚はみんなそのことを知っているんだけれど、親会社から出向して来てるから手が出せない一方、当然、新しく派遣で入ってくるような人はそのことを知らなくて、でも、周囲がそれでアドヴァイスなり何なりをしてあげるわけでもないから、入ってくる派遣の人が次々うつ病になってやめているし、自殺者も出ているというもの。

*4:もっとも、集団性が高いと起こったことも起こらなかったことにできるから、これは集団性の高さの裏返しと見ることもできるのだが。なにしれあれだけすごい不当労働行為が放置されているのに、内部からそれを指摘する声が大きくならない鉄道会社もあるわけですし。おそらく、この集団性の高さってもともともろいものだし、それを維持しようとしたら、しばしば人身御供にされる人が出てくると考えた方がよさそうですな。