ダントレーヴ『自然法』

 ウィリーを読んでいると、ケンブリッジプラトン主義者の問題設定って自然法学派のそれとよく似ているように思われるので、とりあえずこれを読んでみた。
 ストア派自然法理論をよく示すものとしてキケロの『国家論』があり、それはおおよそこのようなかたちで理解されている。

人類は一つの普遍的な共同体または世界国家をなすものであり、法はそれの表現であり、「神の至高の支配権」によって保証されているものとして、恒久不変である。この理論は、ローマの法学者の自然法となり、またキリスト教会の教説となった(24頁)。

 ところが、ダントレーヴはこの連続性に疑義を向ける。

ローマの法学者たちの懸命な努力の目標は、事物の自然に、すなわち事実や性格の具体的な状態に、適合する適合する法規を見出すことであった。要するに、「自然法」なるものは、彼等にとって、法規の完全なそして規制の体系ではなく、解釈の手段であった。それは、たしかに「万民法」と結びつけられ、そしておそらくは一時はこれらと同一視すらされたのであるが、この「万民法」とともにそれは、実定法をば移り変わる事態に適応させるという過程において、また一つの国際的なーいな、むしろー超国家的な文明の法体系を築き上げることにおいて、決定的な役割を演じたのである(39頁)。

 というわけで、ローマの自然法は、キケロのそれや中世、近世のそれとは著しく異なるものであるが、むしろ、その意義はその機能にあるというべきなのであって、「或一つの法体系がその強制力よりもむしろその内在的価値を基礎にして樹立されるのを旨としたことは、人類の歴史上未曾有の実験であった」(41頁)。「古典時代のローマの法学者は自然法を永久不変の規準と解さなかったかもしれない。しかし、法が自然というものに、衡平および善に適合すべきであるという要求は、そこになお残るのである」(42頁)。
 中世になると、「自然法は神に遡る。自然法の諸規定は、それらが啓示によって確認され満たされているという事実から権威を得ている」(46頁)。「自然法が絶対的な拘束力を有し、他のすべての法を支配するのは、それが神に由来するという神性を有するからである」(47頁)といった位置づけを受けた。これはキケロを想起すれば別に新しい指摘ではないが、「それは、自然法が聖書の中に体現されているということを意味するが、同時にまた、聖書が自然法と矛盾しないということをも意味する」。「理性と信仰とは両立しがたいものではない」(50頁)。
 とはいえ、罪悪で汚れた自然を前にしたり、キリスト教的完成なる絶対的理想を前にしては、自然の事物の秩序であるとか人間の自然に基づく倫理体系とかに残された余地はほとんどありえなかった」(52頁)。これは、たとえば、アウグスティヌスの議論は想起してみればよくわかる。そこで、「自然法は、一つの断念された理想、堕落した人間性には取り返しのつかないように失われてしまった事物の事態を表現するために呼び迎えられた。それは、社会上および政治上の諸制度のために合理的な基礎を供するものではなかった」(52頁)。そして、この調停作業を行ったのが、聖トマス・アクィナスである。

人間は、被造物の中でただひとり、知的にそして積極的に宇宙の合理的な秩序に参与すべきものとされている。人間は理性的な天性ゆえにそうすべきものとされるのである」(56頁)。自然法は、理性の表現として、本質的に人間にかかわるものたらざるをえない」(58頁)。
罪の帰結は、人間が「自然の理性」の命令を履行する可能性にかかわるだけで、人間がその命令を認識しうる能力にかかわるものではない。換言すれば、罪の帰結は、純粋に自然的なーすなわち合理的なー価値の領域の存在を害なうものではない。そして、社会上および政治上の諸制度の基礎が評価・算定されるべきは、まさにこの領域においてである(59頁)。

 このとき、アリストテレスが参照されることになる。「人間は政治的動物として、共同体の生活において個人生活の調和的完成を見出すべきものと解された」(60頁)。というわけで、ここでは

自然法は、人間的価値とキリスト教的価値との基本的調和のしるしであり、また人間の完成可能性の表現、人間の理性の力や品位の表現である。しかし、このような仮定に基づく倫理体系は、本当に合理主義的体系と呼ばれるようなものではない。そこには、近世の合理主義の誇りとする精神が欠けている。人間の自足性や生来的完成の主張がない。抽象的「権利」の擁護もなければ、また、あらゆる法やすべての規準の究極の淵源としての個人の弁明もない(65頁)。

 そして、こうした中世の自然法概念にたいして画期をなすのが、ダントレーヴによれば、グロティウスであるということになる*1。グロティウスにとっても「自然法は神によって人間に植えつけられている。それゆえ自然法は、たしかに、神的起源を有する。神の啓示法は、自然法に関する人間の知識を確かにし、かつそれを助けるものである」(76頁)。しかし、「グロティウスの自然法理論がスコラ学から離脱しているのは、それの内容においてではなく、その方法においてである」(76頁)。グロティウスの課題は、「神学的論争がもはや、人々を信服させるような法体系を樹立する能力を漸次失いつつあった時代において、それを樹立するという点である」(77頁)。

かくして彼等が入念に仕上げた自然法は、まったく「世俗的な」ものであった。---。第十七ないし十八世紀の偉大な論著の中に開陳されている自然法理論は、神学とはなんら関係のないものである。それは、神なるなにかに縁遠い概念に敬意を払うことを拒みはしないとはいえ、純粋に合理的な構造のものである(77頁)。
もし自然法が絶対的に有効な一連の規定から成るものであれば、自然法の取り扱いは内在的な、論理の整然かつ必然さに基づかなくてはならない。法が科学であるためには、法は、経験ではなく定義に、事実ではなく論理的演繹に、依存しなくてはならない。それゆえ、自然法のもろもろの原理のみが本来科学を構成しうるものである。このような科学は、変化を受けたり場所によって差異を生じたりするようなものはすべてこれを棄て置くことによって、構成されなくてはならない(78頁)。

 さらに、「個人主義は近世の自然法の第二の特徴である」(80頁)。その起源がどこに求められるかと言えば、「それは、政治理論家たちが個人と共同体との関係の解釈を契約の観念に求めるにいたった時点である。それは、社会契約の理論がはじめて出現した瞬間である」(82頁)。「近世の自然法理論は、ほんとうに言って、すこしも法の理論ではなかった。それは権利の理論であった」(87頁)。「第十七および十八世紀の自然法著述家の大多数は、ホッブスのー「自然法」に対立するものとしてのー「自然権」なる無政府主義的な概念を承認しなかったであろう」。「しかし、力点はますます自然法の客観的な意味から主観的なそれへと移動していった」(89頁)。というかたちで、社会契約論が評価されるのだが、福田歓一が人間本性論からはじめるホッブスを画期とするのとは違って*2、あくまでも転換点はグロティウスに求められている。

それは近世の自然法理論と密接に結合しているものである(82頁)。ひとたび人間の理性が価値の究極の規準とされあるや、社会契約は、社会制度の存在を演繹するために残された唯一可能な方途であった」。「すなわち、それらの解釈の出発点は個人である。それらの解釈の基礎は、近世の世俗的な自然法概念であり、その概念から引き出される、人間の「地位」である(84頁)。

 そして、こうした自然法的思考に終止符を打つのがヘーゲルである。「ヘーゲル歴史観自然法的思考すべてに終わりを劃すものであることは、疑う余地がありえない」(111頁)。「倫理的国家の教義は、西洋思想の長い歴史を通じてそれに随伴してきた自然法の教義にとって完全にとって代わろうとするものである。それは、自然法的思考にとって必要な前提として仮定されたところの、理想と現実との関係をまったく逆に転倒させる」(110頁)。ただし、「意志が倫理的価値を創造しうるものであるという観念は、事実、厳密に言って、ヘーゲルの発明ではない。ヘーゲル自身認めているように、彼はルソーに負っているのである。ルソーの「一般意志」の理論が倫理的国家の理論の真の根源である」(111頁)。

自然法 (岩波モダンクラシックス)

自然法 (岩波モダンクラシックス)

*1:同様の評価はカッシーラーの以下の本の221頁あたりから。

国家の神話

国家の神話

*2:名著とされるこの本を文庫化する気とかないのだろうか?

近代政治原理成立史序説 (1971年)

近代政治原理成立史序説 (1971年)