イニス『メディアの文明史』

 手許にブツがないので借り出してきた。ちょっといかがわしい感じがしないでもないのだが、なるほどと思わせる記述も多く面白い。カルスタ流行りなら、このよく知られているはずの本、復刊されてもよいと思うのだが、新曜社にはそういう予定はないんですかね。それから、ほとんどずっと「---した」で終わり続ける翻訳の文体は読んでいて、疲れるというか話がアタマのなかに入りにくくなります。それはともかく、

 中世ヨーロッパ社会のなかで、紙と筆記の普及が背中を押した趨勢

ヨーロッパでは商業、都市、大学の交流が、修道院と在俗聖職者とのあいだの葛藤および教会と国家とのあいだの葛藤、とくに教育の監督権をめぐって葛藤をもたらした。紙の導入と筆記の普及は自国語の発達とラテン語の衰退を促進した(27頁)。
自国語の重要性が増大し法律家が台頭してきたことは、教会組織にかわって政治組織の地位を強化した(72頁)。

 と、それを逆手にとろうとする教会の反動があって、

「口承の影響力は、筆記や印刷に訴えることによって、かつおのれの神聖性を強調することによって、そしてこのようにしておおのれの可能な競争相手を無力化され、彼らのもつ武器を彼らのほうに転じさせながら、聖書やホメロスのうちで存在しつづけた(184頁)。

 つまりは、筆記と口承のあいだに一種のヒエラルキーが作られるわけである。

カトリックキリスト教のもっとも貴重な信仰を執拗かつ多様な攻撃から守るために、信仰の使徒的宗規ならびに司教の使徒的地位が、旧約および新約聖書への信頼に加えて真理の保障として展開された。もろもろの制度が聖書の羅針盤に合わせられた。洗礼と正餐は密議の形式を与えられた。洗礼の信仰告白を文書にすることは禁じられ、礼拝式は異教徒の参観を禁じた。聖書の朗読が強調され、教会は偉大な初等学校となった。キリスト教徒はすべて、自分が信じているものを知っていなければならなかった(178頁)。
中世の聖典の神聖性は彫刻や建築のなかに表現されたが、それらのものは、聖典を強調する印刷術の発展によって悲惨な結果となった(180頁)。

 これって、イマジネールなものを強化する方向に動いたと要約してよいのだろうか?