『リミッツ・オブ・コントロール』

 ジム・ジャームッシュの新作。行けるときに行くべしということで、先週へろへろの状態で見に行って、とりあえずここで問題になっているのはある「選択」なのだということは分かったものの、いろいろ仕掛けがありそうなので、こりゃもう一度見なければ話にならんと思いつつ、でも、もう少し時間を空けたいな、それにワイズマンも始まってるし、とか思いつつ、結局、またもやへろへろに近い状態で二度目を見に行った。二回目の方がずっと面白かった。二度目なのに、やっぱりどアタマから映像そのものの美しさにひきこまれてしまった。そして、自分の記憶力の悪さにあきれてしまった。きっとまだ穴がある。

 主人公は殺し屋。最初に依頼主から、仕事の依頼のやりとりのなかで、「すべては主観的」であり「現実は気まぐれだ」という暗示があって、それからは、基本的に予兆となる絵画を美術館に見に行っては、出来事に遭遇していく繰り返しのなかで、最後に”ミッション”を成し遂げるというストーリーがあるようなないような話なのだが、一度だけ予兆を見ることなく出来事に遭遇し損なうタンゴのシーンがあって(結局、そのあと遭遇するわけだけど)、その前後には、出来事の方が予兆となってあとから絵画を見るというシーンがある。この辺りが最初の言葉をラストにつなげる伏線になってる。

 遭遇する出来事のなかで登場してくる人物たちが語るのは、楽器、映画、科学、音楽、ボヘミアンといったトピックで、そのすべてがわれわれの記憶に関連づけられている。「人生に価値はない」と記された車に乗ってアジトへ行くと、すべては主観的というわけで、ターゲットの屋敷に忍び込むシーンはみごとにすっとばされて、いきなり殺し屋と対面したターゲットは、オマエのアタマにある音楽や科学の話はすべてまやかしだと「リアル」な現実についてわめきながら、「現実はきまぐれだ」とつぶやく主人公に殺されていく。

 最後に見ることになる絵画は、暗殺の前にその予兆となるブツを見ているのだが、絵そのものが白い布に包まれた絵で中身が見えない。ずっと交換されてきたマッチ箱の中身の暗号も最後は白紙(それまでのメモはすべて呑みこんでしまっていたのだが、これだけはゴミ箱に捨てられる)。そうすると、遭遇する出来事のなかで出会った男女に導かれてたどりついてみると、旅してきたのは主人公の内面世界だったように感じられてくる。なんかフーコーの権力論みたい。となれば、「すべては主観的だ」という冒頭の言葉も、ラストでNO LIMITS NO CONTROLというロゴが出てくるのもよく分かる。

 まあ、しかし、そんな理屈抜きでも、印象的なショットばかりだし、ファッションとか、車窓の風景もキレイ、まずは、そこに見惚れているだけでも十分だと思いますが。