J・ル・ゴフ『中世の身体』

 中世の風俗とは身振りの文明であり、身振りは信仰と結びついて極めて儀礼化されている。

中世の風俗の文明とは、身ぶりの文明である。観念の上で、霊性、肉欲の放棄、石の聖堂を志向しているこの世界において、身ぶりの表現は自然なものではまったくない。儀式化の縛りが強いこの社会においては、身ぶり−祈祷の際の合わされた手、臣従礼の際の接吻、口頭での中世の誓約−、体の動き、態度は、社会生活のまさに只中に位置している。表象や習慣もまた同様である(209頁)。

 基本的には、節度ある身振りが推奨され、大げさな身振りや快楽をあからさまに見せる身振り、模倣が断罪される。

人間の外的表現(フォリス)は、魂の内的な運動(イントゥス)が目に見える形で顕れたものである。しかし、身ぶりと(ゲストゥス)と、誇張動作(デスティクラティオ)、すなわち悪魔を想起させるような大げさな身ぶりやその他の軽業は区別されなければならない。緊張関係はここにも見て取ることができる、一方で、身ぶりは内面、忠誠、信仰を表現する。他方では、誇張動作が悪意、悪魔憑き、罪悪の徴となる。旅芸人はこうして追い払われる。また笑いは、おそらくそれが口や顔を歪め瑠ことによるのであろうが、非難されることになる(222頁)。

 しかし、それに対する逆向きのベクトルも働いていく。グレーヴィチなんかを読んでると、これはキリスト教以前の風俗の巻き返しという一面を持っているようだ。

いたるところにある身ぶりは、しかし支配下に置かれている。道徳と慣例の規則に手綱をしばられているとはいえ、身体が降伏することは決してない。身体と身ぶりに対する規範と理性による締め付けが強まれば強まるほど、その他の形態の身体表現の勢いがかき立てられる(224頁)。

中世の身体

中世の身体