『ポピュラー音楽へのまなざし』

 http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20090623/p1 の続き。この本に収められているアイドル・ファンの分析が面白い。

 この点では、辻泉「ファンの快楽」の指摘が興味深い。辻によれば、ジャニーズ系のアイドル・ファンは、まず誰を好きになるかということについては必ずしもあまり深い思い入れがない。

夢中になったきっかけも」「相対的に「希薄」で、好きなアイドルが頻繁に入れ替わったり、複数のアイドルを同時に好きになることも当たり前という」(318頁)。

 しかし、こうした「思い入れの薄さ」が、公認ファンクラブとは別個の、ファンによるサークル形成の基盤になっているのではないかと、辻は推察している。「歌詞は最たる例だが、アイドルに「中身がない」ゆえ、ファンに「主導権」のある関係と言えるのではないだろうか?」(318頁)。つまり、ファンであることは学校を超えたつながりを可能にするコモン・グラウンドを提供するのである。

 こうしてできあがるファンのつながりを辻を「ひとりでみんなと見る」と形容しており、それが学芸会にやってくる親のイメージに近いのだという。そこには、当然、ファンとしての仲間同士の関係がある一方で、競争的な関係を回避しようとする動きが確認できるのである。

一つには、「担当」のアイドルをコンサートでの応援だけでなく、日頃から雑誌やCDを買ったりして、そのことをお互いに喜び合うファン同士の関係があるという、”みんなと”の部分が存在しているということである(319頁)。
次にファン同士の関係だが、最も興味深いのは、親同士にとって子どもがそれぞれ別であるように、ファンという点では共通していても、同じアイドルの「担当」(「同担」という)友人になることは避ける(あるいは結果的に避けている)という点である」(319頁)。
こうした”自信のなさ”ゆえの”競争の回避”という意識は、ファン同士ではあっても「同担」を避けるような、友人関係を裏支えしていると理解できるだろう(323頁)。

 だから、またそこにある関係も脆弱な一面を抱え込んでいる。

これらのファンの友人関係は、そのことをきっかけに、既存の集団を乗り越えていながら、実は、そうした友人関係の中だけで閉じてしまう危険性も同時に有している。つまり、そうした文化に基づいた細分化を余計に進めてしまう、危険性もまた表裏一体なのだ。
 また、このように細分化され、競争を回避できる友人関係は、親近感に特化しているが、実はひとたび競争せざるを得なくなったとたんに、強烈な劣等感や競争意識が表面化することもある。その例として「怪文書」というものがあり、---(326頁)。

 こうしてジャニーズ系のファンにも、女子バンドと同様の特徴を確認できることになる。そのうえ、辻は、ファンとアイドルの関係、ファン同士の関係についても構造的類似性を確認している。

アイドルの人気はスターに比べ、尊敬感が薄れ、むしろ親近感に特化している。ここまで見てくると、実は南の整理を基にした指摘が、これらのファン同士の友人関係にもあてはまることに気づく。すなわち勝ち負けや上下関係がなく、尊敬感などよりもむしろ、親近感に特化した友人関係が浮かび上がってくる。つまり、ファンとアイドル、ファンとファンという、親近感に特化した二種類の人間関係が互いに入れ子構造になって安定し、そこにもたらされる居心地のよさこそ、ジャニーズ系男性アイドルのファンの快楽だと言えるのではないだろうか(324頁)。

   To be continued. http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20090707

ポピュラー音楽へのまなざし―売る・読む・楽しむ

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