『ビジネス倫理の論じ方』

 今年度の若年労働者問題関連書籍読書月間がそろそろ終了するので(かなり読み残しがでてしまったが)、その最後に、きっとまったく関係のない話ではないに違いないということで、献本していただいたこの本を読んでみることにした(ありがとうございました)。思想史研究者が書いたビジネス倫理とそれをとりまく諸問題を取り上げた本で、いろいろ知らない知見もあって勉強になった。ただ、ボクはビジネス倫理学の本を読んでことがないので、類書に比べてという話ができない。だから、読んだ印象をストレートに述べるしかないのだが、そうすると、こういうところにこの人が出てくるのねという発見がある一方で、門外漢だから的を外しているのかもしれないが、ある種の物足りなさを感じてしまった部分もあった。

 この本の、とりわけ、序章や1章を読んでいると、正面切って言及されていないが、この本の隠された課題って大企業の組織って問題だよなと思ってしまう。19世紀初頭にアメリカでビジネス倫理が浮上してきた背景には、おそらく「経営者革命」や「組織革命」(ボールディング)というのがあって、産業の大規模化により巨大組織が並立する状況を招来し、市場で企業等を規制しようにも寡占状態ではそれがうまく働くなってしまうといったことがあったろうし、これに対する一定の対応は、独禁法とかもあるだろうけれど、戦時の統制経済や戦後のケインズ主義あたりが果たしていたことになるんじゃないかと思う。だが、企業が多国籍化する一方、ケインズ主義は行き詰まり、「自由化」「グローバル化」の波がくると改めてビジネス倫理が問われてくる文脈が生まれてくると、多分そんな流れが描けるんじゃないか。会社をどう考えるか、どうすればよいかという話も、そうした文脈上に位置する議論のなのだと思う。

 そう思いつつ読み進めていくと、もちろん、本書でも組織の問題が取り上げられていないわけではない。すでに述べたように、序章と第1章でそうした問題は確認されているし、3章は組織を扱った章だし、他の章だって組織と無縁な話をしているわけじゃない。でも、経済思想ってあんまり組織に切り込んでくれないなという感じがしてしまうのだ。アダム・スミスやジェレミーベンサムを引き合いにすることで、改めて見えてくる問題があることはよくわかったけれど、彼らを持ち出すだけでは見えてこない問題だってあるはずだ。ボクとしてはもっとそうした対話的な作業を期待したくなるのだけれどどうなんだろう?

 たとえば、働くことは、単純にお金だけの問題ではなく、自己承認の問題と結びついているわけだが、企業にアイデンティティの源泉をあずけることで、組織がどうまわるかはいろんな条件に左右されそうだ。だんだんと過去の話になりつつあるのかもしれないが、日本のように終身雇用が基本になり、職場で自己承認が得られやすいような組織にすると、社員同士は長期的な関係を取り結ぶことになる以上、企業内部(あるいはさらに小さな単位)の関係を企業(あるいはより小さい単位)外部の関係より重視するようになり(同じことは系列関係等でも言えるが)、結果として、よくある問題隠しの構図が産み落とされやすくなる。

 他方、自己承認の問題は、お金とは別の問題だが、報酬額を自己承認のよすがとしてアイデンティフィケーションを図ることはできる。そもそも、企業が社員に自己承認を与えるいちばん単純なやり方は昇進と昇給だ。おそらくはアメリカの金融業界あたりで起こったように、過大な報酬を保証することで自己承認の回路を強化して、それで収益が伸びれば、他の企業も同様のやり方を採用するようになるだろう。こうして競争関係が激化して、自分がどういう評価を受けるかがますます他人に左右されやすくなれば、他人を出し抜くために、実力業績重視の自由化状況でも、不正や詐欺まがいの行いは生じうるし、見逃されやすくなる。そして、こうした可能性はおそらく金融の自由化が進まないかぎりなかなか想定しにくい事態だったのではないだろうか?

 そもそも大組織に属するということは、自分で起業する以上に、自分が社会のなかで果たしている役割を見えにくくする。つまり、自分たちが社会のなかで果たす責任についてそれだけインポになりやすいのだ*1。これって議論としてはほとんど初期マルクス疎外論のヴァリエーションですな。ボクには、問題はそのあたりから始まってくるような気がした。その点で、最後の中山論文の以下の指摘はとても頷けるものがあった。「問われるべきは企業そのものの善し悪しではなく、企業が倫理的・社会的責任を市場の外部性として放置する一方で、その企業に社会的責任をいわば織り込みずみのものとさせ、問題が浮上した際にはもっぱら企業を加害者に据えようとする国家の方針があるという状態、そのような国家と企業の連動性である」(240頁)。

 感想が批判へ傾きすぎてしまったのかもしれないが、とはいえ、編者が掲げている問題意識自体は、領域は違うとは言え、私自身とても共有できるところがある。だから、今後、それがどのように展開されていくのかは、私自身への刺激も含めて、とても期待したいし、また楽しみだ。次はどういうアウトプットが出てくるのでしょう?

ビジネス倫理の論じ方

ビジネス倫理の論じ方

*1:ボールディングも『組織革命』のなかで懸念していたのは、まさに組織の倫理の問題だったはず。

組織革命 (1972年)

組織革命 (1972年)