ジェイ・ラムネー『スペンサーの社会学』(風媒社1970)

 しばらく前に古本屋で入手したこの本を講義の準備のために読む。コントは、比較的入手しやすい翻訳もあるし、コントについて書かれているものもそれなりに見つかるのだが(院生時代読みましたよ)、スペンサーとなると、『世界の名著』に採択された翻訳も、冨永健一が言うように、あれだし(でも、読みましたよ)、日本で影響力をもったのが明治期だったりするから、全体的にスペンサーがらみのものの大半は古くて入手しにくい。まあ、この本もそうだけど(原著1937年)。といって、あの大著を原書で読もうという気も起こらないし、そもそもそれほどの思い入れもない。例外的なのは、わりと最近出た、冨永健一『思想としての社会学』ぐらいだろうか。そうした事情を汲んでか、この本ではスペンサーの議論をかなり丁寧に要約してあった。

 で、とりあえずそのあたりを読んでみた印象として、マーチンデールの『現代社会学の系譜』で大枠をつかんで、この本と冨永本を読むと、それなりにスペンサーの議論の概要はつかめる。今年は少し丁寧にスペンサーを取り上げてみよう。思うに、社会学に進化論を導入して、社会分化や機能主義のような発想を持ち込んだのだから、そのあたりはきちんと評価されてもよいとはずなのだが、そんなかけらも感じられないのが実状じゃないかしらん。スペンサーの評価については、たしか、コンドルセあたりを手始めに進歩史観の発展を取り上げ、スペンサーがそこに進化論を導入した意義を考察した論文があったと思うのだが、どの本に載っていたか思いだせない。ハーバーマスの『認識と関心』だと思っていたのだが違ったようだ*1

 それから、たしか新明正道は、『社会学的機能主義』(1967)のなかで、当時のパーソンズの構造機能主義に対する批判を検討して、全体社会に対する機能的貢献という発想に無理があることを確認したうえで、それに対して全体社会を想定しない機能主義を考えることができるといった指摘をしており、その例としてスペンサーを挙げていた。考えようによっては、ルーマンのやり方はスペンサーに本家返りしたと言えないわけでもない。そして、そのパーソンズは『社会的行為の構造』で、「ハーバート・スペンサーは死んだ」と高らかに宣言していたのであった。


思想としての社会学―産業主義から社会システム理論まで

思想としての社会学―産業主義から社会システム理論まで

*1:ついでに、コントをどう評価するかということについて言えば、ハーバーマスの『認識と関心』、マルクーゼの『理性と革命』、レイモン・アロンの『社会学的思考の流れ』の該当箇所あたりを読むと、それなりのイメージがつかめると思う