ジャン=クロード・シュミット『中世の身振り』

 先達が自分と同じような仮説に立っているということが分かるというのはなんとなくうれしい。デュヴィニョーの次のような記述にぶちあたってこの本を読むことにした。

この種の社会では集団や個人の体験の基礎をなす公の振る舞いや物腰ははっきりと限定されていた。---。固定され、しばしば結晶化されて法典化されていたそれらの物腰や振る舞いと並んで、想像上の振る舞い、つまりある具体的な関係や状態に直接呼応しない物腰が実在しえたとはどうしても認められない(65頁)。

 この本によれば、中世の身振りは基本的にきわめて儀礼的なものであったといってよいようだ。

身振りの大きな役割は、中世キリスト教社会における身体の地位に対応している。この社会では身体の儀礼性は根本的な条件であり、たとえば感情表現の動作がそれを明示し、笑ったり泣いたりする光景に見てとれる(13頁)。
身振りは、よりよく内面化されるべき道徳に合致し、「節度をもち」、従属しなくてはならない(366頁)。

 とはいえ、身振りそのものがそれ自体として表現力を担いえたのかについては疑わしく、むしろ、言葉が中心的な位置を占めていたといってよさそう。

言葉のない身振りが例外なら、身振りのない言語はさらにまれである(261頁)。
しかし、人々が互いに伝えあったり神に伝えたりする思想は、身振りの中にだけ表現されるわけであはない。絶えず言葉の優位が喚起され、従順や必要の度合は様々であれ、身振りは言葉の僕だと想起させられた(366頁)。

 そして、12-3世紀には、身振りはより洗練され分化していく。

身体はもはや、必ずしも「霊魂の監獄」とは見なされず、よく管理されれば人間の救済の場として手段のひとつになりうるだけでなく、救いは肉の苦行をもう求めなくなっている。おそらく修道士だけが、涙のうちに生きる務めを受ける。だが、そのような模範は、普遍的な価値をもつと主張することはもはやできない。。かつて以上に、道徳は社会の諸階層に適合していなくてはならない、というより、道徳は職業別になったのである。各自は、みずからの職業の規則に従い、立派にきちんと仕事をこなせば、救われることができる。これは、俗人にもあてはまる。騎士や商人だけでなく、身振りの専門家である大道芸人さえもそうなのである(210頁)。

 というわけで、身振りは社会的身分を識別する一つの表徴になった。

こうして、衣装、身体の外見、道具と同じく、身振りも社会的な役割を区別するのに役立つ(228頁)。「12,13世紀の社会において、「身分」、「地位」、「年齢」の区別はかつて以上に顕著であった。それぞれの集団は、異なった身振りをもち、それを学ばねばならなかった(229頁)。

 こうした時代背景のもとで、「模倣の身振りが断罪され」るのはよくわかる話で(141頁)、その敵意はとりわけ模倣を生業とする大道芸人に向かう。「この時期、聖職者文化から生まれた史料の大半は、道化役者の激しい身振りを強く断罪し続けている」(270頁)。ところが、

13世紀初頭以後、都市の群衆を改宗させ異端を退けるために教皇から俗人に説教する使命を特別に与えられた新しい托鉢修道会もまた、模倣すべき模範としてにせよ排斥すべき競争相手としてにせよ、大道芸人という人物に直面した。より「民衆的」な説教を支持するフランシスコ会士は、意識的に「キリストの大道芸人」のモデルを体現しようとした(286頁)。

のだという。

中世の身ぶり

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