グラン・トリノ

 これがイーストウッド自身が出演する最後の作品になるらしいのだが、ラストを見るとなんとなくそれが分かるような気がした。やっぱり、これまで画面で見てきた彼の姿が重なってくるしね。
 最近見た別の映画に引きつければ、ある意味で生きていくとは原罪(sin)を積み重ねていくようなものだ。だって、生きれば生きるほど、その気になればできたはずなのにやらずにきたことなんていくらも出てくるはずなのだ。しかし、そのように感じ考えられること自体がある種の「恩寵」であろうし、そして、そんな自分を認め、受け入れていくことは、とりわけ、年を経るほど難しく勇気のあるものになっていくように思える。
 他方、われわれは生きているかぎり、様々な事物に対して様々な意味を付与して行く。というより、生きていくとはおそらくそのような営みだ。だが、自分にとって意味あるものが、それがたとえ身近な人たちであったとしても、そのように映るとはかぎらない。そうした意味でおそらく老人は誰よりも孤独だ。しかし、自分の知りえない世界を抱えて生きる人たちに尊厳を認め、受け入れようとすることは必ずしもできないことではあるまい。たとえば、タイトルにもなっているグラン・トリノとは何なのか、もっともらしい説明をつけることは容易だろうが(たとえば、グラン・トリノが走るのはいつか)、結局のところそれがこの映画のなかで語られることはないに等しいし、その必要もないだろう。
 この二つが重なるところに何が生まれるのか?われわれが何かを受け継ぐとはどういうことなのか?もしかしたら、成熟するって、このあたりにあるのかもしれない。とか、大袈裟なこと書いたけれど、ふつうに笑えて泣ける映画ですよ。それから、やっぱり誘うのは女性の方からなのですな。