バーカー『近代自然法をめぐる二つの概念』

 本来なら先週までに読んでおくべきであった本を、やっと発掘できたこともあって今日になって読んでいる。ギールケの英訳本によせたアーネスト・バーカーの序文を訳したもの。タイトルはいささか看板にいつわりありかな。自然法の変遷から歴史法学派への流れが概観できて便利。相変わらず、とりわけローマと中世に自分が弱いことを実感。

 アリストテレスは、実定法と人間自身に内在している「共通で」「自然に基づく」法を区別しており、ストア派は、コスモポリスを背景として理性の法すなわち自然の法を語る。そして、ローマにあってキケロは、市民法と、契約にかかわる商法的な万民法(相対的自然法)、そしてその背景にある一般的な法理念としての自然法(絶対的自然法)を区別し、最後者はすべての人間に共通する理性と自然の法であった。

 キリスト教の教父たちもこの区別を受け継ぎ、人間の堕落以前と以後で、絶対的自然法と相対的自然法を区別し、相対的自然法を、前者と実定法のあいだに置いた。トマスは、世俗における「神の法」と「人定法」(実定法)を区別し、「人定法」の背後に「自然法」を、さらに「神の法」をはじめとするすべての法の背後に「永遠の法」を置く。そこで、自然法は人間の理性によって発見されるものであるとされ、トマスにあっては、自然法は信仰と切れているわけであるが*1、その一方で「この法は、人間理性の神的能力が神意の目的と、神の理性の支配を理解しているかぎりにおいて、あらわれるものである」(57頁)ということになる。

 そんななか、世俗的な要請に応えるように適応させながらローマ法が実践的な法体系として普及してくる。そして、それは性質からして自然的なものになっていった。で、それを受ける格好で17-8cに自然法学派が登場してくると。

 他方、こうした合理主義、普遍主義、個人主義にたいして、歴史的過程に注視し、民族精神を呼び出すところに歴史法学派が出てくると。ギールケもその影響下にあったのですな。

 新自由主義の流れのなかで、一面において国家の後退ということが言われてきたわけだが、だったら、バーカーとかラスキとか多元的国家論が再評価されてもいいのではと思ったりもするわけだが、そうした動きはないのかしらん。

近代自然法をめぐる二つの概念―社会・政治理論におけるイギリス型とドイツ型

近代自然法をめぐる二つの概念―社会・政治理論におけるイギリス型とドイツ型

*1:このあたりは、ダントレーヴのこの本で明瞭に確認されている。

政治思想への中世の貢献 (1979年)

政治思想への中世の貢献 (1979年)