S・ティドワース『劇場』

 実際には、ちょっとしか使わないだろうけれど、読んでおいた方がよい本ってあるものだが、それが300頁を越えるとなるとそれなりに腰も引ける。でも、最近、分厚い本に読み慣れてきたので、なんとかなるかとこの本を読んでみたわけですが、劇場といっても扱われているのは舞台と観客席がメインで、楽屋とか舞台裏がどうなっていたのかという話は残念ながらほとんど出てこない。ボクとしてはそっちの方も知りたかったのですが---。
 とりあえず、確認できたのは、俳優と観客が分離し、舞台が虚構の場と見なされるようになったのは実質的には19cだったと。まあ、これはなんとなくわかっていたことですが。次に知りたいのは、この分離が完了する前と後では俳優の位置づけがどのように変わるかということなのだが、こっちのブツは来週の入荷待ち状態。

17世紀前半に、額縁式の舞台および何層もの桟敷席あるいはボックス席のついて馬蹄形の観客性が定型化し、いわゆる近代劇場(この言葉はもはや時代遅れである)の基本的な要素ができあがった。イタリア式の上演形式が普及するにつれ、劇場は次第に現実よりも幻想の場、虚構の場と見なされるようになった。幻想をつくりだすには背景が必要であり、その背景が絵になり、その絵が額縁を必要とし、ここにプロセニアム・アーチが不可欠な要素になったのである(89頁)。

とはいえ、

演技が額縁の後ろで行われるようになっても、その後長い間、座席は演技が額縁の前で行われていた時と同じ配置のままであった。その理由は単純ではないが、一つには社会の圧力であったと考えられる。17世紀から18世紀にかけて、観客が劇場にやってきた理由は観劇であると同時に他の観客に注目されたいためでもあった。もしも座席がどれも同じ方向を向いていたら、誰ひとりとして他の観客を見ることができなかったのである。劇場の両脇の座席がなくなるのはワグナーのバイロイトからである。これ以上の考察は集団心理学の領域であろう。典型的な古い形式の劇場では、たとえ、観客全員が舞台をきちんと見ることができなくても、一体感をもつことができた。ところが理論にかなって設計された劇場では、観客は孤独感にとらわれる。---。
 プロセニアム・アーチは、もともとは舞台設計家の要求に応えたもので、俳優をこの中におしとどめておけるようになるまでには長い時間がかかった。特にイギリスでは、現在、〈張出し〉とか〈前舞台〉と呼ばれている舞台が19世紀まで存続した。廃れたのは、〈実際〉の空間と〈舞台の〉空間との違いを理論家が主張するようになったからである。---(99-100頁)。

 それから、ちょっとは舞台を見に行く人間としても面白かったのは、これからの舞台について論じた部分。

多くの演出家や批評家はグロピウスのような言葉を用い、〈現実の世界と舞台の世界との境界線〉が突然なくなってしまったと語っている。これは誤りで、ジョンソン博士が「実は、観客は常に正気で、第一幕から終幕まで、舞台は単に舞台であり、俳優は単に俳優であることを知っている」と語ったようにすいぶん昔からはっきりしていた。事実、新しい下きっじょうはちょうどこのような認識に基づいているのである。この認識を試す機会は無限にあるが、古代ギリシアや中世ヨーロッパの劇場で楽しまれた儀式の状態を望めるかどうかはかなり疑わしい。多くの障害がある。そして最も大きな障害は、現代の劇場が正当化しようとする新しい考えを実験したり、刷新したり、反映したりする力そのものである。インド、中国、日本、ギリシア、中世のそれぞれの劇場は感覚は何を期待するべきかを知っており、それぞれの共通信念を通じて、演劇と一体化していた。西欧の前衛主義の夕べに集まった観客たちは何を期待すべきかを知らない。それが魅力の一部なのである。驚かされることを望む。それでは、演出家が私たちに望むように私たちは本当に独特な劇的行事に参加しているのだろうか(319-20頁)。

劇場―建築・文化史

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