深沢克巳『百姓成立』

 たしか、バートランド・ラッセルは、いちばんアタマが回るときは数学をやって、そこまでいかないと哲学やって、さらに---といった話をどこかでしていたと記憶するが、それでいくとイマのボクは歴史書を読む段階である。というわけで、去年の今ごろの積み残しの本を読む。以前、読んだ本とのつながりがよくわかって面白い。あのときは農村の共同体的性格を単純にその生産関係ないしは労働条件から考えていたけれど、これは単純すぎる考え方だったな。この本を、昨年論文を書き終える前に読んでおかなかったことが悔やまれる。さらに一揆の本も読むべきだろうか?
 著者によれば、「百姓成立」(ひゃくしょうなりたち)とは、百姓が「再生可能な経営水準を維持していく」という意味であり(8頁)、この「百姓成立」が近世への移行と密接に結びついている。豊臣政権の太閤検地以降、農民を土地に縛り付ける政策が進行していくわけだが、それはその一方で、個別領主による百姓に対する私的で恣意的な支配を公儀が排除し、百姓を「公法的存在」として保護する意味合いがあったというのである。そこで、以下のような百姓の位置づけがでてくる。ここから、百姓が公法的支配を受けながらも、それに保証されて個別に独立した地位を獲得していく流れが理解できる。

百姓の地位を知るうえで大事なのは、なかでも、百姓は「上様」さえ私物として扱うことができず「天」より預けられたもの、としているところである(21頁)。
領主の絶対性は、その「公儀」性にもとづくものであり、百姓の生業はその納得によって公的性格を帯び、普遍的価値を付与されるという関係のなかで、近世的な服従的人格が形成されるのである(146頁)。

 だから、こうした百姓は「人」として扱われ、領主と百姓との関係は、領主と家臣の関係にも類比されるような御恩と奉公の関係にあり、「領主と百姓が「御救」と「上納」の関係で結ばれ、それを前提とした恩頼の意識が生まれ、また同じ前提をおいて激しい抗議・闘争が噴出した」(48頁)。そこに、公儀の御用をつとめることが「儀理」とされながらも、長者とまではいかないまでも、「富貴」な百姓を幸福の目標にして貪欲に「徳」を積む分裂した契機をふくむ百姓像が胚胎する。
 そして、同じ構図が村落内部でも繰り返される。村落はその外部の異質な共同社会との連携を前提にして存在し、村落共同体を支える惣百姓寄合は、生活・生産関係を本質としたものではない。そもそも村落の単位は年貢の村請制度に由来し(110頁)、惣百姓寄合は「負担者仲間であることを共通項とする誓約集団」だったというのである(107頁)。村落内部で生じる「階層の平準化」の動きも村落内部での上層農民の恣意や特権を限定し、小農が自立していく農民闘争の流れのなかで出てきたのだという(112頁)。
 これは個々の百姓経営の自立化と小規模化をもたらす。事実、惣百姓寄合は「誓約集団から契約集団」へ変化し(113頁)、「近世をつうじて経営規模がしだいに小さくなり集約化されていくことが指摘されている」(115頁)。だから、また村での共同労働も契約制の強いものであったり、共同の農作業である「結」も一方で雇い・賃取りの労働と並存しているのが常態であり(125頁)、田植に「結」慣行が残ったのは、祝祭的意味合いが大きいのだという(127-8頁)。
 このように百姓経営にはすでに外部労働力が入りこんでいる一方、百姓の小規模経営化は「農耕専一」を理念としながらも、加工過程を含んだ付加価値の高い諸稼ぎ・余作を必要とさせ、それは百姓の意識を高める働きもたらした*1。つまり、昔から農家は兼業だったわけだ。さすれば、著者が「四恩」から説明する村落内外での相互救済機能もこうしたできあがった関係を「公法」的に確認する意味合いがあったと言ってよさそうだ(54頁)。もっとも、これは小農間の実力格差の拡大をも意味するから、こうした独立傾向は百姓の「没落」と裏腹であり、百姓のなかには「つねに自分がたちがそうなる現実的な可能性をもつがゆえに、自分たちの「非人」への差別感情を強めていく、という関係にあった」(156頁)。
 このように、近世にあっては、百姓経営は公法的性格を帯びて家ごとに独立性を高めていき、それにあわせて村落が再形成されていく。他方で、こうした公法的所持の基底と周辺には、土地の私的所持とも公法的所持とも異なる、「共有地」を典型するような共同的所持の観念が存在し、それが村請負に規制された百姓結合とは違った結合原理を支え(89-90頁)、「村全体の再生産を分け持つという観念をともなう」家産意識を支えた(226頁)。それは、次第に弱体化する傾向があったとはいえ、私的所持に対抗し、幕末維新期の「世直し」にもつながっていくような契機を含んでいたという(89頁)。水俣でいう「もう一つのこの世」といったところだろうか?「公的人格として表面化しつつ、私的(家的であり、個人的ではない)人格・共同体的(ここでの共同体は家族を指さず、家連合としての村落)人格へと対立契機をはらみつつ実在するのが百姓だった」(150頁)。
 最初に話をもどせば、こうして法支配の進行と百姓の独立という一見すると相反する事態が並行して進んでいったことになる。だから、百姓は単純に公儀に服従する存在ではない。

法度支配の進行という大きな方向は不可逆だが、しかし公儀法が一元的に貫徹するというのではなく、それに規定されつつもなお独自の領域をもつ各社下位集団の理=法が重層的あるいは対抗的に存在した(232頁)。

一揆や騒動では、被治者の側が、ほとんど為政の側に移行するように登場してきて悪の明示と排除を行う。そのさい百姓は、みずからもまた「御百姓」身分を放棄する用意があることを示した(252頁)。---。一揆にいたる状況は、領主のほうが「百姓成立」を破壊する者として立ち現れていると認識されたから、「百姓成立」を深く希求しながら、御百姓身分とそれに連結する公法的百姓所持地の返上を申し出る百姓一揆もあったのである(253頁)。

百姓成立 (塙選書)

百姓成立 (塙選書)

*1:「与作は木を切る」の与作って、この「余作」が語源になるのかしら?