「アラビアのロレンス」

 先週後半からあまり体調がよくないので映画ばかり見ている。こいつは一発芸で行けるのですよ。で、おそらくは20年前後ぶりに、スクリーンでははじめて『アラビアのロレンス』を見る。単に壮大なスケールの映画ぐらいの記憶しかなかったが、いま見るとすごくヘヴィーな話だったということに気づく。そして、登場人物がいずれもよく描けている。
 映画によれば、T・E・ロレンスって正義感が強く倫理主義的である一面、自分に万能感を覚える傲慢さがあり、裏側には万能感を代補する攻撃性が秘められている。そして、この倫理主義的な性格はおそらく自らの万能感を防衛する機能を果たしている(これは父に認知されなかった母の子だということと関係があるのだろうか?)。だから、倫理的たろうとする彼の決断が万能感を支えきれなくなると、秘められていた攻撃性が浮上してくる。そして、ロレンス自身もそのことに気づいて、その攻撃性を自らに向け抑うつ状態に陥る。ある意味で、この映画が描いているのは、ロレンスがこの体験を反復して傷つき壊れていく過程だ。
 ロレンスの攻撃性に裏打ちされた万能感は、それが英雄的な行為のなかで発現するかぎりでは何の問題もない。だが、状況が悪化し万能感がゆらぎはじめると、代わりに攻撃性が剥き出しになってしまい、ロレンス自身もそのことに気づいては傷つく。まず、それはアカバ占領の過程で、彼が正義を執行するために自らが情けをかけて助けた人物を手にかけなければならなくなったときに明らかになる。あとからロレンスは、あのとき自分は殺すことに快感を覚えたと告白するのだ。この外に向けられた攻撃性に気づいたロレンスは、攻撃性を内へと向けて抑うつ状態に陥り、転属を願い出る。だが、アラブからの信頼を得たこんなに利用価値のある人間を軍が手放すわけがない。将軍は彼の万能感をくすぐり、アラブの独立という空手形を与える。
 彼の万能感は自分がアラブの一員となり、アラブの独立を勝ち取ることができるという「思い上がり」となって彼を英雄的行為に導いていくわけだが、その戦いが再度始まる。アラブの部族たちも、一面は金ほしさ、一面は彼の強さに惹かれ、そしてアラブではないからそれに従う。しかし、彼を慕う若者二人があいついで死に、さらには略奪品を充分に手にした部族の大半は部隊を去っていき、彼の幻想を支える存在が親友のアリをのぞいていなくなると、再び万能感がゆらぎはじめ、彼の性格の攻撃的な部分ばかりが目立つようになり、その挙げ句トルコ軍に逮捕されたときには正体を知られずにすんだとはいえ白人として凌辱を受ける。アカバ占領に向かうとき、ロレンスはアリにnothing is written、つまりはアラブ人にだってなれると豪語して見せたわけだが、この捕囚体験は自分が思い描いた姿がいまやただの幻想でしかなかったことを決定的に思い知らされる瞬間になる。それで、またもや抑うつ状態に陥ったロレンスは再度転属帰国を願い出るのだが(そのときサイクス・ピコ協定のことを知る)、まだまだ軍にはロレンスの利用価値がある。ロレンスは、自分を受け入れない祖国へ自らの攻撃性を向け(ということは一種の自罰行為ともとれるわけだが)、英国軍よりも早くダマスカスに入城してみせると豪語することでその命令を甘受する。
 おそらくは精神的にボロボロになっていたであろうロレンスは、金でアラブ部族をかき集めて部隊を編成し、ダマスカスへ向かう。自らが張り子の英雄であることを自覚して(なにせ自分の護衛隊に犯罪者をやとっていたのだ)。その途中で、もはや万能感を支える幻想を失っているロレンスは、自らの攻撃性を剥き出しにして、トルコの敗残兵の虐殺を指示してしまい、また抑うつ状態に陥る。
 それでも、イギリス軍より早くダマスカスを占領し、アラブ国民会議を立ち上げるのだが、部族をかき集めた会議はうまく機能しない。結局、部族たちは去っていく。何も管理できないまま、放置された捕虜収容病院で、イギリス軍医に「このうすぎたないアラブ人め」と侮辱されて、ロレンスが笑うのはとても象徴的だ。すべての望みを失ったところで、いくら望んでもなれなかったアラブ人扱いをされたのだから。
 とはいえ、ダマスカスをイギリス軍人が指導するアラブ部隊が占領したという功績は、イギリスにもファイサルにも利用価値のある両義的な意味があり、そこで両者のかけひきが始まる。こうなるとロレンスは無用の長物。イギリスへの帰国を許されることになるわけだ*1。いわば使い捨て。『人魚姫』のときもそうだったけど、自分が生きる世界の幻想に気づいてしまうとこの世にはいられなくなるのかな。ちなみに、この映画は彼の死から始まり、最後に彼の死を暗示して終わる。
 冒頭、ファイサルを尋ねていく途中でロレンスはのちに友人となるアリと出会うのだが、それはロレンスをファイサル王子のもとへ案内するなかで友だちづきあいをするようになったベドウィンを、アリが殺したことに始まる。違う部族の者でありながら、アリの部族の井戸水を飲んだというのである。でも、オマエはアラブではないから殺さない、と。ところが、ロレンスがアカバ攻略で見せた英雄的行為を前に、アリは自らの部族の首長の服をロレンスに与え、君の名前は「エル・オレンス」がよいと言う。しかし、その直後に起こった部族間の争いを調停したのは、アラブではないロレンスだからこそだ。ロレンスが二度目の転属願いを出そうというときに、nothing is writtenとう言葉をひいてオレンスを引き止めたのもアリだ。だが、そのアリも最後は涙ながらに国民会議を去っていく。結局、最初の彼の態度が正しかったのだ。もし、そこに救いがあるとするならば、アリの涙だろう。彼は一方で、確実に変化していき、オレンスに教わりながら民主主義の勉強をしていた。つまり、いつかは---。

知恵の七柱 (2) (東洋文庫 (181))

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*1:帰国後、偽名を使って一兵卒として空軍に志願することになるが、映画のストーリーをベースに解釈すれば、これは自罰行為だということになるんじゃなかろうか。