ハンブルク・バレエ団『人魚姫』

演出:ジョン・ノイマイヤー

 結局、行ってしまった。もちろん、一番安い席が買えたからですが、行って正解。音楽もオリジナル・スコアでオケつきというのはとてもよかった。当初は、「人魚姫」なんて思うところ大であったわけだが、改めて見ると「人魚姫」ってある意味では「ハムレット」のヴァリエーションと取れなくもない。しかも、ノイマイヤーの演出自体が「ハムレット」を意識したものになっているように思えた。「ハムレット」のヴァリエーションだというのは、人魚姫には、恋をして人間になることを選ぶ決断と、王子を殺すかどうかという決断、つまり、二つのto be or not to beが存在するからだ。そして、もちろんどちらも彼女が選ぶ道は決まっている。
 他方で、この舞台の隠された主題は同性愛であるようだ。そもそもアンデルセンという人自身が同性愛者ないしはバイセクシュアルだったみたい。配布されたあらすじでは、結婚してしまった友人(男)への詩人の思いが、男のイメージに重なる王子と人魚姫を生み出すという設定になっていて、実際、序で起こる結婚式後、船上での詩人と友人とのやりとりは、友人が詩人をまともに相手にしないかたちで終わり、まったく同じことが第二幕では人魚姫と王子のあいだで反復される。
 となれば、詩人は人魚姫の生みの親であり、なおかつ人魚姫は自らの分身、詩人は人魚姫の影なのだ。実際、第一幕では人魚姫の行くところ常に黒ずくめの詩人がずっとついてまわる。ところで、ハムレットの影となって疑念を吹き込むのは亡霊と化した父親であった。それと同じように、詩人は人魚姫の生みの親である一方で、その影として王子への愛を吹き込むのだ。
 そして、海中でのまどろみのなかで王子と人魚姫の愛の邂逅があり、王子は丘へ助け上げられ、修道女に連れられた一人の女性が自分を救ってくれたものと誤認して恋に落ちる。そんななか、人魚姫は人間になることを選ぶ。あの脚を得た人魚姫が歩くところなんてとてもよかった。
 でも、なぜ王子は誤認してしまうのだろう?見ていてこの疑念がずっと私の頭のなかをよぎっていた。ボクは無意識のうちに王子は誤認したがっていたのだと考えてみたくなる。すでに述べたことからも分かるように、少なくともノイマイヤーの演出からみるかぎり、人魚姫との邂逅は裏側で同性愛的な関係を暗示しており、自分を救ってくれた人として人魚姫を恋愛の対象に選ぶことは、自分の内面に隠された同性愛的欲望を認めることになってしまう。王子は、それを否認するために、あえて誤認して別の女性と恋に落ちるのだ。これは後述する第二幕の展開でも改めて確認できたように思う。
 また、この作品、主人公たちをのぞくと女性たちが出てくることは出てくるのだけれど風景の一コマみたいな感じがして、もっともそうした彼女たちが点在する光景は絵画みたいでとてもキレイなのだけれど、一方、海軍軍人とおぼしき男たちの”一団”はときとしてマッチョな格好をしてみせたりしてやたらと目立つのだ。このあたりも、同性愛が影の主題になっていることを暗示しているように感じさせる。
 そんな流れのなかで、オーソドックスな展開なら人魚姫が人間になってさあどうなるでしょう、というところで話を切るのだろうと思うけれど、ここでは、人魚姫が人間になって王子に仕えるようになる一方で、王子が他の女性を選んだことが明々白々になったところで第一幕が終わる。そもそもわれわれはこの話の結末を知っているわけで、わかりきった結末を繰り返してもしょうがない。むしろ、演出上は、分かり切った結末をどう見せるのかが課題になるのだろうし、それはまた詩人が自分の妄想として人魚姫を産み落とすという設定がなぜ要請されたのかとも結びついてくるだろう。
 というわけで、第二幕がどうなるか楽しみと思っていたら、これはスゴイと思った。まずは、人魚姫が閉所恐怖症だというエピソードから二幕が始まるのだが、これは人魚姫が自分の愛が受け入れられることはないが、かといってその愛を諦めることもできないという、身動きのとれない抑うつ状況にあることを暗示するものだろう。この人魚姫が閉所に閉じ込められてもがいている場面も絵画みたいでとてもキレイ。そして、最後にも形をかえてこの閉所状況が反復される。
 そして王子の結婚式。その流れのなかで、一幕目に舞台の傍らどこかしらに常におかれていて、詩人が、海中で王子の耳に当ててもいた貝殻を再び持って現れ、受け取った人魚姫がそれを王子の耳にあてる。これは、海中での人魚姫との邂逅の記憶を王子に呼び起こすものとなろう。このとき王子は一瞬結婚に躊躇する。だが、結局はそのまま式をあげる。詩人が第二幕であらわれるのは最後を除けばこの場面だけで、しかも式のさなかいつのまにか消えており、彼の座っていた椅子だけが倒れている。つまり、いたたまれなさもあろうが、影の不在のまま話は進み、言ってみれば、人魚姫は詩人の妄想を越えた現実を生きていくということになる。二つ目の決断は詩人が妄想する世界を超えているということなのかもしれない。
 人魚姫は王子と二人きりになったところで、王子に刃をつきたてようとするのだが、もちろんできない。王子は彼女が手にしていた刃物を取り上げて、それを自分に突き刺す。ここで一瞬、王子も自分の同性愛的欲望の前で身動きできなくなって死を選んだのかと思った。人魚姫は必至に王子を蘇生させようとする、それは海中での邂逅の繰り返しだ。だが、実は、それは死んだふりをしていただけのお遊びだったということがわかる。さらに、そこで起こるちょっとしたいちゃつきも、すべてしまいにはお遊びとして片付けられる。してみれば、海のなかで起こったこともお遊び、彼のうちにある同性愛的欲望は、再び囲い込まれ抑圧されてしまうわけだ。
 で、最後、人魚姫は自分の身にまとったものをすべて脱ぎ捨て身動きが取れない狭い部屋に再び閉じこもっている。そこへ詩人が現れてくる。それまで影として黒ずくめだった詩人も、ここで白い衣装へと変わり、彼女を誘って天へと昇る。ここでは、詩人はもはや彼女の影ではない。ここにあるのは死と再生であり、その互いをいたわりあうような踊りは、ちょっとナルシスティックな感じもしたが、それでも救済へとつながるのか、それとも新たな苦難へといたるのかはわからないが、二人が確実に次のステージへ昇っていける、そうした肯定性を感じさせるものになっていた。