会社は誰のもの?

 民主党の枝野さんが、派遣切りをしながら企業の内部留保が増えていることを国会で問題にしたらしい。鋭いところを突いていると思った。ボクが、見た番組では、当然ながら(?)、内部留保を減らすと株価が下がり、ひいては会社の評価が下がる云々というコメントがくっついてきた。まあ、そのとおりだろうけど、現在、起きていることは、「会社は株主のものである」というある意味では当たり前な発想を徹底したアメリカ流のやり方の行き着いた先ではないだろうか?そして、それを見直すべき時期に来ているのではないか?
 ボクは、会社が株主のものだと言われるとき、どうしても合点がいかないのは、株主が有限責任しか持たなくてよいことだ。この問題を他の状況へ移しかえると、これ、かなり不自然でしょう?だって、自分の貸した金で犯罪まがいのことが行われると分かっていて、それでも金を貸したら、これは非難されてしかるべきでしょう?まあ、そんなことをしたら株価が下がるはずだって言うんだろうけど、 多国籍企業が規制のゆるい発展途上国にいって、公害の垂れ流しみたいなことをやっても、その責任を問うのが難しいという現実がある*1。それに、そうした実情をどれほど株主が知ることができ、また知ろうとするのだろうか?
 また、大きな企業になれば、つぶすと社会的な影響が大きすぎるからそうそう簡単にはつぶせないという現実もある。そういう意味では、企業は公共財でもある。もし、そうした大企業が取り返しのつかないようなことをしでかしてたらどうするの?たとえば、日本ではチッソがそういうことをやったわけよ。と、考えていけば、 公共財としての企業は、それに見合った行動が求められてくるはずだし、だからまた、企業の「社会的責任」なんて話もでてくるわけだ。
 そんなことを考えつつ、日曜の『朝日』をめくっていたら、会社は「公器」であるというドラッカーの話が紹介されていた。興味深いのは、ドラッカーも、それから最近読んだミンツバーグも、少なくとも、かつては社員を大事にしてきた日本型の組織を、CEOが現場をよく知らないまま経営にたずさわり、莫大なサラリーをもっていくアメリカ流の組織より高く評価していることだ*2。従来の日本の企業の考え方じゃ「会社は社員のものだ」よね。賃下げも、あれをワーキングシェアだ言われると抵抗があるけど、まあ、そうした日本の企業の名残りを示したものだと取れないこともない(景気回復時に、新しく人をとるよりコストが安くなるというのもありそうだが)。少なくとも、いわゆる「日本型」の組織がこの点で一日の長があるぐらいのことは言える、とは思う。
 でも、ホリエモン騒動のときに、番組制作を下請けの会社に安く丸投げして高給とっている某テレビ局、の社長に「会社は社員のものだ」と言われたって、全然説得力を覚えなかったし、同じようなことは、日本の大企業が下請け孫請けに仕事を委託してコストを下げていることにもあてはまるだろう。また、景気がいいとたくさん人を採るのに、景気が悪くなると急激に新卒採用を抑制し、それでも、やっていけないと中年層のリストラを始める(これはその先のことを考えるとすごく残酷)というのもこれまでの日本企業のやり方だった。
 それから「社員を大切にする」日本企業にしばしばつきまとってきたのは、長時間の(しばしばサービス)残業であり、何か問題が起こってもそれを内部ぐるみで隠してしまおうとする問題隠しの構図だ。たとえば、前述のチッソがそうだった(あれは、国ぐるみとも言えますが)。内部告発なんて、逆に、企業に忠誠心を持たないパートや派遣社員の増加なしには考えにくかったのではないだろうか?もっとも、エンロン事件が報道されたとき、アメリカ型にしたってやっぱり問題隠しは起こるんだと思ったし、アメリカでも高給取りほど労働時間が長くなる傾向があったから、こちらは、それほどの違いはないのかもしれないけど。
 いずれにせよ、「人を大事にする」と言っても、その「人たち」は、それぞれ何か事があると浮上してくるような階層にふりわけられていて、その線にそって、違った対応が選べるようになってるように見えるのですよ。それをどうするかは、国が考えなければならない問題でもありましょうが。

 こんな本もありますよ。

会社はだれのものか

会社はだれのものか

*1:たとえば、他の経済問題も含めてこのあたりを参照。ここで「最悪の場合アメリカは」と言われていることが現実になってますな。

世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す

世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す

*2:

H. ミンツバーグ経営論

H. ミンツバーグ経営論

ミンツバーグにはこんな本もありますな。
MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方

MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方