内海健『精神科臨床とは何か』

内海健分裂病の消滅』のとりわけ前半が面白かったので*1、ほかの本も読んでみるべしということでいくつか彼の本を集めてきたのだが、チェックしたなかでは「まあ、いいか」と思ったこの本をなぜか一番最初に読んでいる。講義をベースにしているから草臥れてるときでも読めそうだと気軽に手に取ったせいなのだが、そもそもこれも買ってしまおうと思ったのは、以前言及した成田善弘のこの本の面接・療法の部分が面白かったからで*2。それで、他にも成田さんが療法を検討している本を読んでみたりもしていた*3
 なぜ興味を抱いたかといえば、面接をどう構造化するかという話自体が、境界例の特徴を理解するうえで有用だったということもある。また、商売柄、ボクも学生の相手をしたりするわけで、ときにはこの学生とどう関係を築いたらいいんだろうと考えたりしなければならないときもあるわけで、そうするとそこで自分が試行錯誤していることが、面接技法の話とふと重なってくるように思えるときがある。のみならず、これは日常生活でいろんな人と関わっていくうえでも、多かれ少なかれ持ち上がってくる話でもあろう。
 思うに、精神科の面接技法というのは、それ自体が独立した技術としてあるというよりは、その原型的なものが日常生活でのやりとりのなかに埋め込まれており、それを自覚的に取り出し洗練させていくなかでできあがってきたようなものなのではないかと思う。だから、精神科の面接という特異な場面でのやりとりについての知見から、時として自分の日常生活でのやりとりをふりかえるきっかけが生まれてくることもあるのではないかと。
 じゃあ内海さんの場合は、というわけでこの本にも手を出してみたわけだが、かなり違ったスタイルの本で、その期待はよい意味で裏切られた。というのも、この本の前半は自己論であり、つまりは他者論で、具体的に臨床を扱った部分は後半から始まる。そして、もちろん、後半の臨床部分でも同様の視点が貫かれている。この前半部分がわかりやすく、とてもよくできていて、精神科臨床という括りとは関係なしに読むに値する記述になっている。
 ただし、こうした他者論から始まる記述のスタイルを採用せざるをえなかったのが、「もっとも懸念されるのは、臨床力の衰弱を示す徴候が、いたるところで見え隠れしている」、「多くの臨床家が、もってしかるべき心のゆとりを失いかけている」、といった著者の懸念に由来するものであったり、統合失調症の軽症化をはじめとする疾病構造の変化に裏打ちされたものなのだとすれば、面白いとだけ言ってすませるわけにはいかない話だということにもなるのだが。

精神科臨床とは何か―日々新たなる経験のために

精神科臨床とは何か―日々新たなる経験のために

もし、私の祈りが相手に通じるものであるなら、ひょっとしたら私の意識というのは、誰かが私のことを祈ってくれているからあるのではないか(106頁)。

*1:

「分裂病」の消滅―精神病理学を超えて

「分裂病」の消滅―精神病理学を超えて

*2:

青年期境界例

青年期境界例

*3:これってその筋では有名な本らしい。

新訂増補 精神療法の第一歩

新訂増補 精神療法の第一歩