思うに、

 さしあたり死刑制度の是非はおくことにしても、法務大臣は自分が執行命令を出したんだから、その顛末を責任をもっと見届けるべきではないだろうか?毎回、刑場におもむき死刑執行の過程をちくいち検分すること、それぐらいやったうえで何かを語ってほしい。ボクは、某放送局でやっていた刑場を再現したCG映像をみただけで気持ち悪くなってしまったよ。
 またあわせてこの特集では、荒川沖での連続殺人事件の犯人との会見の模様が紹介されていた。当然ながら(?)、彼は秋葉の事件のことをいたく気にしていたらしい。思うのだが、この手の事件が起こるたびにマスコミが驚いてみせるのにはもう飽き飽きしたというか、たとえ社会の多数派になることはないにせよ、この手の事件が起こるたびに、それに共感したり、先を越されたと感じる不全感を抱えたヒトが必ずいること、なかには「次はオレの番だ」と考えるヤツもいるってことは認めておいた方がよい*1
 本人の人格的未熟さをあげつらうことは容易だが、じゃあ「大人」がどれほど人格的に成熟しているのかといえば大いに疑わしいことは、ニュースや日常生活を見ていればよくわかる。また、昨今なら、まともに職を得ている層だって働きながら周囲の無理解や冷たさを感じる局面は多いはず。だとすれば、定職を得られない不安定層は?幼少期からそんな環境で育ってきた子どもたちは?って考えていけば、事件を起こした彼らの思考回路は理解できないにしても、そこまで考えが膨らんでいくようになる経路は決して想像できないものではないし、それは「われわれ」の日常と無縁のものというわけでもないだろう。まあ、とりあえず『天才バカボン』でも読めば、と言いたい気分もありますが。

*1:たとえば、この映画なんかは、それをよく描いていると思う。連続殺人犯に自分を重ねあわせ面会を求める女性が現れる。ところが、その交わりが続いていくなかで犯人の方は社会に心を開いていく。となれば、彼女の方は---。http://www.seppun-movie.com/