花はどこへいった

 ヴェトナム戦争アメリカ軍が枯葉剤ダイオキシンが含まれている)を散布し、その被害が甚大であったこと、その被害はアメリカの退役軍人にまで及んでいること、でも、アメリカ政府はそれを認めていないということ、それぐらいは聞き知っていた。でも、もっと具体的なイメージになると、ベトちゃんドクちゃんのことぐらいしか思いつかないのが正直なところ。この映画は、やはり枯葉剤を浴びていた退役軍人の夫がなくなったのを契機にヴェトナムを訪れ、枯葉剤の被害者たちの実情を追いかけたドキュメンタリー。
 いちばんボクの印象に残ったのは、枯葉剤を浴びて障害児を生んだ母親が「誰のせいとも言えません。戦争だったんですから」とつぶやくシーン。他のシーンを見ていても、被害者の家族たちは思いのほか明るかった。もちろん、それはカメラを前にしてのサーヴィスだったのかもしれない。でも、少なくとも一面においては、本当にそう感じている人はいるんだと思うし、少なくともそのように感じるときはあるに違いない。
 だって、自分たちに枯葉剤を浴びせた誰かを恨もうとすれば、「こんな子が生まれたのは---」みたいな我が子を貶める言葉を口にしなければならなくなってしまいそうだ。あるいは、かえって「生んでしまった」自分たち自身が負い目を感じてしまうことだってあるかもしれない。それはあまりに哀しい。生まれた子を愛おしいと思い、我が子を受け入れるのであれば、どのような形姿をもって生まれてきたのであれ、また、そこに至った経緯がどのようなものであれ、それをあれこれ言ってもはじまらないし、またその必要もない*1
 そうはいっても、障害児を育てるのにかなりの負担を要することもまた確かだ。ホーチミンのある病院には「平和村」という障害児のための施設があり、そこの先生は、出生前の超音波の検診を進めている。障害児を育てることが社会にも家族にも大きな負担になっているという。ここにあるのは、先進国でスクリーニングをやって「障害児」を生むリスクを測りましょうというのとはまったくちがった問題だ。もっとも、この施設の子たちはとても明るい。それを、この子たちは将来のことを何も知らないかわいそうだと彼女が形容するのは、ちょっと一方的にすぎないかと思ったけれど。このあたりになるとよくわからないのだけれど、ヴェトナムにどれだけ枯葉剤がまかれたかを考えるなら、ただ子どもを産まないではすまないような気がするし、ダイオキシンの影響が避けられないことを込みにして社会を考えなければいけないのかもしれないとも思った。そして、そうした社会の構想にたいしてどこよりも責任を負わなければいけない国が海の向こうにある。

http://www.cine.co.jp/hana-doko/

*1:これはユージン・スミスが撮った有名な写真「入浴する智子と母」を上村智子さんが死んだのを機に家族がもう世に出さないでくれと頼んだ話に重なるかもしれない。この写真は水俣病闘争に多大な影響を与えたといってもいいのだが、だから、公式にはもう見ることができない。