エレクトラ

 鈴木忠志演出の『エレクトラ』を見てきた。日本人の役者とロシア人の役者の混合(微妙に体の使い方が違いますね)。といっても、この舞台、ギリシャ悲劇『エレクトラ』を舞台化した作品ではなく、それをベースにしたホーフマンスタールの戯曲を基にしている。原作をチェックしたわけではないと断ったうえで確認しておけば、どうやらホーフマンスタールの戯曲はオリジナル以上に王女エレクトラの狂気を前面に押し出しているらしい。
 実際、舞台で最初に登場してくるのは、車いすにのせられ黒い帽子をかぶった5人の男たちだ。父アガメムノンを殺されたエレクトラは母クリテムネストラへの復讐への思いで充ち満ちている。この男たちのときに滑稽なふるまいや、恨みにみちたつぶやきは、エレクトラのアタマのなかに浮かんではぐるぐると回り続ける怨念というか狂気のかたまりのようだ*1。実際、彼らは、エレクトラやクリテムネストラがその場を占める、舞台中央に敷かれた黒い円形の敷物の周囲をぐるぶる回ってみせる。
 だが、その母クリテムネストラも毎晩苦しい夢にさいなまれ、そこから自分を救う術を知っているのはエレクトラだと信じている。どうすればいい?そのためには、一人の女の命を犠牲に捧げれば、一人の男が一人の女のアタマを斧でぶち割ればいい、と。もちろん、その女とは自分自身のことだ。5人の男たちがそう語り繋いでいくとき、その言葉は、エレクトラ自身の言葉のようでもあり、また、クリテムネストラのアタマのなかをかけめぐるエレクトラの妄想のようでもある。
 妄想の内と外との区別がつかないこの世界のなかで、エレクトラは、妹クリソテミスから復讐の唯一の頼りオレステスが死んだという知らせを受けたそのあとに、まさにそのオレステスと再会を果たして言葉を交わし、オレステスが復讐を果たす(らしい。でも、声しか聞こえない)。
 だが、その挙げ句、最後に舞台のそでからあらわれては、もう一方に消えていくのは、看護婦の押す車椅子に乗せられたエレクトラの「妄想」たち(5人の男)であり、オレステスであり、クリテムネストラである。復讐は果たされ、怨念はこうして消えていくのか?どうみても、そんな風には思えない。復讐が開いたのは、さらなる狂気への道だ。その先にはおそらく死しかない。
 われわれは、いまだに復讐してやるとか、誰かの仇を討ってやるとか、そんな怨念に浸されることがあるわけだけれど、ボクがこの舞台を見ながら感じていたのは、 いつのまにか、というよりとっくの昔に、復讐とか仇討ちが持つ意味そのものがきわめて変質してしまったのではないだろうか?、ということだった(あ、これ憶測で書いてます)。
 たとえば、われわれの日常生活の延長に仇討ちが存在するような社会を考えることができる。実際にはかなり形骸化していたのかもしれないが、仇討ちが制度化されていた江戸時代の武士たちがそうだ。彼らが武士としての本分を守るために日常なすべきことと、「非日常的」な仇討ちはおそらく連続する関係にたっていたはずだ。つまり、すくなくとも理屈のうえでは、日々の勤めも仇討ちも自らの本分を守るという意味においてはいずれも極めて自然なふるまいだったのではなかろうか?
 他方、ボクたちは、きわめてひどい仕打ちをうけ、たとえ復讐や仇討ちへの思いに駆られたとしても、一方でそれをどこかで愚かなことであるとか、社会通念に反しているとか、なんらかの齟齬を意識せずにはいられない社会を生きている。何よりもそれを体現するのが法規範だ。逆に言えば、われわれはいくら仇を討ったところで、あるいは復讐を果たしたところで、それで自分が救われるとは必ずしも保障されない場所に立っているように思われるのである。そこにはもう悲劇すらない。
 社会との接点を奪われ、最悪の場合、自分のなかで回り続けるしかない狂おしい思い。ついてまわるのは不運や不条理だけ。その先にあるのは「狂気」だ。いったいこの折れ合えなさをどうすればいい?たとえば、そんな状況のもとで苦し紛れに生まれてきたのが、キリスト教であったり、凶悪犯罪への裁きと被害者感情とバランスをとろうとする修復的司法のような発想であるように思える。しかし、この思いつき、確かめようとするとむちゃくちゃ大変な作業になりそうなのだな。
http://spac.or.jp/repertory/electra.html

悲劇の誕生―ニーチェ全集〈2〉 (ちくま学芸文庫)

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悲劇の死 (ちくま学芸文庫)

悲劇の死 (ちくま学芸文庫)

 さしあたりの補足として、しばらく前に言及した『義理と人情』にでてきた西鶴近松の比較を想起してみる。そうすると、西鶴の描く世界では、個人の内面的な心情と社会的な規範がぴったりと重なり合っていて、そこに齟齬が生まれる余地がない。「彼の描いた義理は、時には「喧嘩口論」ともまがうべき意地であり、武士としての自己の名を守ることを人生の最高と価値とする一種の名誉心であり、あるいは自己への信頼にたいして、どのような犠牲を払ってもそれにこたえようとする精神的態度である。それは倫理とというにはあまりに生々しい、時には激情的なかたちをとる強烈な生活感情であり、しかも武士たちを強い力をもって拘束するものなのであった」(75-6頁)。
 他方、近松の描く世界では、個人の内面的な心情と社会的が規範が分化しはじめてはいるのだが、十分分化していないために、自己に対して忠実であろうとする心情と、世間を視野にいれた生活規範が時として個人の内面という同じ平面で衝突する。「彼の最も描きたかったのは、換言すれば彼が最も理想としてのは、われわれの外にあってわれわれを規制する外的規範としてのいわゆる義理ではなく、むしろ心情的に内面化された内的規範としての義理である。この場合義理は、規範であるという点において「情け」−人情とは性格を異にしつつ、心情的なものであることにおいて、情と多くの共通性を持つ。ここに近松において「義理と人情」の葛藤の生ずる根拠がある」(126頁)。でも、だからこそ「『曽根崎心中』に見られるように、近松においては恋愛が妨げられることは、ただちに死へと愛が激情的にたかまっていくことになるのであるが、そこにたまらない悲しみはあっても、そのことはなんら罪悪感を伴わないのである」(108頁)。
 だが、近松以降は、義路と人情は、世間と個人の内面へと完全に分裂してしまっており、対立することはあっても、葛藤を招くことはない。「この観点から西鶴における義理の世界を見てみる。彼のばあい、さきに見たようにすべては義理の世界で決断され、そこには義理と人情の葛藤のはいる余地はなかった。近松以後では、義理と人情の対立はあっても葛藤はなかった。そこでは義理は自己の外にあり、しかもそれに従わねばならぬ社会的強制であった。近松の作品だけが、ことばの真の意味における義理・人情の悲劇という名前に値するであろう」(127頁)。

義理と人情―日本的心情の一考察 (1969年) (中公新書)

義理と人情―日本的心情の一考察 (1969年) (中公新書)

*1:語り手と演じ手を分けるこのやり方って、鈴木忠志というよりは宮城聰の手法だよなと思ったら、脚本は共作になっていた