子どもがいるわけでもないのにこれもブックオフで見かけたら気になって購入。実は大学のゼミで役に立つんじゃないかと思ってたりする。とりあえず、前半読了。素直に面白い(あるいはためになる?)。石原パパはここまでやるのか。ゲームのルールを疑いながら、そのルールにあえて乗ってみせるって、なんか昔ありましたな。
僕たちはゲームをするときには、はじめにルールを教えてもらう。どういうことをすればよいのか、何をしてはいけないのか、あるいはどうすれば高い得点が得られるのか、そういうことを学ぶ。ところが、「国語」という教科では、ルールがあるにもかかわらず、それを教えてくれない。いや、ルールを学ぶことが「国語」という教科の科目の目的だと考えられているのだ。
「自由に書きなさい」といわれても、それはまやかしでしかない。ルールに違反すればバツがつけられる。それなのに、そのルール自体はいつまで経っても教えてもらえない。これは実にアン・フェアーなことだ。このことが「国語」という教科を難しくさせているのだ。
最初にルールを一言で言ってしまおう。「国語」という教科の目的は、道徳教育にある。それが学校という空間のルールだからだ(174頁)。
深く納得。でも、意外とルールを身につけてるかもよとも思ったりして。だって、ゼミでテキスト読んでると出てくるコメントはしばしばきわめて道徳的で正しい「答え」だったりする。で、苛立った私はつい「誰かを殺してやりたいと思ったことぐらいあるだろ」(もちろん、「殺せ」とはいいませんよ)、「万引きの一度や二度やったことあるだろ」(もちろん、「試しにやってみろ」なんてことは言いません)、「母親うざいだろ」とかその都度挑撥的なことを言いたくなってしまうのだ。生きてりゃ、人を傷つけることもあれば、人に傷つけられることだってあるよ。モノを考えるためには、説教じみた道徳的発言よりは、そっちの感覚の方が大切だと思うんだけどな。で、道徳的な回答を封じる手を考えながら教材を選んだりするわけですが。
- 作者: 石原千秋
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1999/03/01
- メディア: 単行本
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