アニー・リーボヴィッツ

  体調があまり思わしくないせいもあってついついぼーっとしてしまい、あまり集中できなかったのだが、その分、彼女の写真がどーんと視野に入ってきたように思えた。それとは知らないうちに随分とアニー・リーボヴィッツの写真を目の当たりにしていたのですな。それを見ていくとまさに1968年の申し子って感じ。それから、スーザン・ソンダグの共同生活者だったということは知らなかった。でも、見ていて一番印象に残ったのは、彼女がジョンの死ぬ数時間前に撮ったというヨーコとの二人の写真のエピソード、ヨーコがこのエピソードを語りながら、ジョンのことを思いだして涙ぐんでしまうシーンには、こっちもちょっと涙ぐんでしまった。
 アニーはローリングストーン紙で名を売ったのち、ピア・フェイトラーという編集デザイナーに師事してさらに写真の腕を磨く。何よりも、コンセプトを考えて写真を撮るようになったというのだ(近いものとして、身近なところでは、蜷川実花の演出的な写真なんかを思い浮かべてもよいのかもしれない)。たしかに、それ以降の写真は演出がすごく凝っていてより美的な印象を与えるし、撮影現場の様子や被写体のによるエピソードを見聞きしているとここまでやるのはスゴイと思う。被写体に有無をいわさないようにあらかじめセットが完璧に作り上げられているとか。
 でも、ボクには以前と以後の写真を見ていて、完成された感じがするのは後者だけど、単純に前より後の方がよいのかがよく分からなかった。もちろん、ボクは写真のことをよく知らない。見るべきポイントすらろくに分かっていないのだろう。けど、例えば、先のジョンとヨーコの写真に惹かれるのは、その演出からくるというよりは、そうした演出で何かをとらえてしまったからのように思える。もちろん、その数時間後にジョンが殺されているということを知っているから、それが写真のドキュメント性を強化してしまうということもある。でも、あの写真、たとえばジョンとヨーコの表情にはそれだけにおさまらないものがあるような気がする。

Rolling Stone (ローリング・ストーン) 日本版 2008年 02月号 [雑誌]

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