尾藤正英『江戸時代とはなにか』

 渡辺本で引かれていたのを機にこの本のことを思い出し、改めて読了。あら、いつのまにか文庫化してましたね。いまの日本を知るためには応仁の乱以降を見ておけばよいというわりとよく知られた話(内藤湖南)があるわけだが、この本ではそうした中世から近世への日本の社会構造の変化を「家の一般的形成」に見て、様々な歴史事象を読み解いていく。いささか仮説から話が流れすぎという気がしないでもないが大変面白い。
 本書によれば、荘園の解体後、「家の一般的形成」の結果組織されたのが、天皇および将軍を頂点とする「役」の体系である。それは、各自が社会のなかでそれぞれ一定の「役」つまりは「職分」を担い、それを忠実に果たすことが正しい生き方とされるような社会である。これって、ちょっと前までならそれなりに馴染みのある考え方だったはず。

これに対し、近世になりますと、士農工商それぞれの身分に応じて、労働の義務としての「役」が課せられるという点では、一見するとそれ以前と同じようなのですけれど、その「役」に服務することが、それぞれの身分に所属していることの象徴的表現とでもいうべき性格が強くなって、強制的な義務でありながらも、同時にそれが個人の自発性に支えられたものとなって点に、大きな変化があったのではないか、と私は考えています(21頁)。

このとき、各自はそれぞれが異なる「職分」を担うという意味においては、差別的であるが、いずれも社会のなかで一定の「職分」を担っているという意味においては平等である*1。そして、そうした発想が、松尾芭蕉の生き方に見て取られ、あるいは伊藤仁斎荻生徂徠、ひいては美濃部達吉の思想的営みから読みとられる(ボクとしては、ここに和辻哲郎も含めてみたい)。
 そこで描かれる国家イメージはこんな感じ。

それは要約していえば、国家を構成する個々の集団ないし組織の自律性を尊重するとともに、それらを幕府の統制のもとに置くことにより、全体としての国家の秩序を維持していこうとする方針であったのではあるまいか(101頁)。

 だから、「識」の体系に代わる「役の体系」を構築するきっかけとなった兵農分離(たとえば、太閤検地)もこんな感じでとらえ返されることになる。単純に強固な支配を確立したわけではないというのだ。

兵農分離とは、兵すなわち武士と、農民との間の、身分上の区別を明確にするとともに、その間の支配=従属の関係を、個別的・直接的なものから、組織的・間接的なものへと変化させたことを意味する(31頁)。

読みながら、ここでの話が他のいろんな話とつながってきてわくわくした。ところで、こんな国家イメージだとわりと多元的国家論に近い感じがするのだが、たとえば、この話とギールケなんかの話とつきあわせるとどんなことが言えるのだろうか?

江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代 (岩波現代文庫)

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*1:この発想、ここらあたりの本の話につながると思うのだが。

日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー)

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客分と国民のあいだ―近代民衆の政治意識 (ニューヒストリー近代日本)

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