D・キーンの見たニッポン

 ドナルド・キーンの出る番組があるというので録画してみてみた。面白かった。もっとも、キーンが語るのは幕末期に欧米人が見て取った日本人の知性をめぐるエピソードであり、それこそ司馬遼太郎の小説あたりを読んでいれば、その少なからずは必ずしも初めて聞く話ではないのだけれど、それがキーンの口から出るときなんだかとても違った意味を帯びてくるように感じられた。キーンやしばらく前に亡くなったサイデンステッカーのあとをつぐような知日家って誰になるのだろう?そんな気分で彼の話を聞きながら思いだしていたのは、歳を食うほどに敬愛の念が深まっていく、渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(平凡社L)である。そこにはこんなフレーズが出てくる。

異邦人たちが予感し、やがて目撃し証言することになった古き日本の死は、個々の制度や文物や景観にとどまらぬ、ひとつの全体的連関としての有機的生命、すなわちひとつの個性をもった文明の滅亡であった(16頁)。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

といいつつ、実はこの本を読み通していない。あらためてページを括ってみようと思った。