熊沢誠『格差社会ニッポンで働くということ』

 シンポが終わってお役後免になったはずなのだが惰性で読了というか、空き時間を見つけて読める本を選んだらこれになった。以下、こんな感じでいくつもの日本社会を縦断している格差が検討に付される。1.大企業と中小企業の格差の再拡大、2.企業内での個人別賃金格差の拡大、3.企業内外での男女格差、非正規雇用性労働者内部の階層分化、4.若年層の正規雇用と非正規雇用の格差、5.労働時間の二極分化、6.賃金と業務コストの「官民格差」、7.生活困窮者の問題。

 だが、熊沢さんはこうした格差を招く雇用形態の多様化を、IT革命やグローバリゼーションから帰結する職務の階層分化と直接結びつけることはしない。最大の要因は労務管理にあるというのだ。

分業で非正規雇用を当然視するのは安易にすぎましょう。仕事が専門的な職務と単純な作業に分かれたのは、1920年代にベルトコンベアシステムが導入されたときがもっとも画期的なのです。そしてその後、基幹工程に数多く存在するようになった単純労働者たちは、労働組合運動を通して、それでも私たちが職場の主人公なのだ、職場のなかのふつうの市民なのだと頭を上げ、生活権と発言権を確立して、それらの違いを正当化するような雇用形態の多様化を克服してきたのです。だから今、下位職務の担い手が正規雇用とは別の雇用形態におかれてキャリアを閉ざされているとすれば、それをもたらしたものは企業の労務管理、より厳密には、労働運動の衰退に乗じた労務管理にほかならないのです(132頁)。

 そして、それを許した労働組合への期待の不在を問題にする。すなわち、非正規労働者にたいする規範意識の弱い日本の企業別組合の限界を指摘し、雇用形態の違いによる格差をなくすために職種別賃金の導入を肯定し、むしろ、クラフトユニオンやコミュニティユニオンに期待をかける。

格差社会ニッポンで働くということ―雇用と労働のゆくえをみつめて

格差社会ニッポンで働くということ―雇用と労働のゆくえをみつめて