「逸脱しないというところから生まれる逸脱」

 最近出た「ひきこもり」の本。これもシンポ用。データをとりまぜながら「ひきこもり」を不登校などの隣接概念と比較しながら定義していく導入部の議論は手堅くて便利。
 「ひきこもり」の議論の出始めのころはわりと丁寧に議論を追いかけていて、自分なりに得た結論は、基本的に「ひきこもり」はover-socialized personなのだということだった。ひきこもりは、社会性がないオタクみたいな感じで言われがちだが、本書でも指摘されるようにひきこもりの人ってかなり規範的だ。むしろ、ひきこもりは他者とのかかわりあいのなかで要請されそうな規範を過剰に読み込んでしまって、自分でコミュニケーションの閾をあげてしまい、かえってコミュニケーションに踏み出せなくなる。しかも、こうしたやり損ない体験は「駄目なボク」の自己評価をさらに下げる方に働きやすいだろう。そうすれば、さらにコミュニケーションの閾が高くなりがち。こんな悪循環が働いて社会関係からの撤退を導くんじゃないだろうかと考えていたのだ(でも、これだけだとなぜ男が多いのかは説明できない)。まあ、実際、年をとってくるとよく分かるのだが、「他人が気にしてるんじゃないか」と考えてしまうようなことを、当の他人はさして気にしてなかったりするんだよね。
 この本を読んでみたら分析がもっと先まで進められることがよく分かった。本書によれば、高校以前の「ひきこもり」と大学からの「ひきこもり」では類型的な違いが見られるというのだ。高校までに「ひきこもり」になった者は、不登校の延長から「ひきこもり」になった者が多い(拘束型)。彼らは、いたって真面目で学校や集団生活に適応しようとするのだが、それでかえってつまづいてしまう。これはボクがイメージしていたものに近い。
 他方で、大学から「ひきこもり」になった者は、やはり真面目なのだが、高校生活までは無難にすごしてきている。だが、学業においても人間関係においても、大学は高校までと180度転換する。大学生活はきわめて開放的。それが彼らのつまづきの石になる。つまり、高校までの生活に過剰適応してしまったために、自由度の高い大学生活では一種のアノミー状態を引き起こしてやっていけなくなってしまったわけだ(開放型)。 いずれにせよ、彼らが過剰に規範的である点は共通している。
 逆に、いわゆる逸脱系の「連中」と「普通」の生徒の学校生活戦略から確認されるのは、彼らが規範から距離をおく抜け道を用意しているということ。過剰な同調を要求される学校空間を生きぬくためには、非学校的な空間に足場をおけるようになる必要があるというわけだ。
 もっとも、「自分を緩める」式の物言いはこの10年くらいのあいだに随分と流布してきたように思われし、実際にも「脱力系」って確実に増えてるから、やはり二極分化が進んでるってことになるのかもしれない*1。その場合、二つの分かれ道になっているのは一体何なのだろうか?本書では、社会学的な「原因」論をやるという宣言があり、最後に二つの類型に共通して学校の「外部の不在」があるというという原因確認がなされるのだが、これは「誰もがひきこもりになるわけではない」という反論を招くであろうことはみやすい。まだ、先があるはずなのだ *2
 また、この二つの類型は、「ひきこもり」にいたる経路としてのみ有効なのだろうか?それともそれ以上の含意を持つのだろうか?たとえば、「ひきこもり」期間あるいは回復後に二つの類型に類比できるような特徴は見いだされるのだろうか?そのあたりが読んでいて気になった。

ひきこもりの社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)

ひきこもりの社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)

*1:たとえば、

若者のすべて―ひきこもり系VSじぶん探し系

若者のすべて―ひきこもり系VSじぶん探し系

なんて本もありましたね。

*2:その点でちょっと気になるのは、たしかに「学校化」の進展が進んでいるにしても、他方で、子どもたちがそうした「外部の不在」を相対化するような視点をも持ち合わせているように見えることだ。たとえば、苅谷剛彦は、『階層化日本と教育危機』で、階層の低い子どもたちが、学校での成功から降りることで、自己の有能感を高めていることを確認していた。他方、「ひきこもり」は明らかに学校的な価値観への適応に失敗しているにもかかわらず、シニックに学校的価値観を維持している。つまり、どちらも学校的価値観への不適応を正面切って挫折と受け入れずに自分たちのポジションを維持しているらしいのだ。これはどういうことなんだろう。斎藤環は、この点に関連して「戦後民主主義教育が虚勢否認を教育するシステムである」ことを指摘している。「私は、偏差値が全人的評価ではないという部分がどうもあるのではないかと思うわけです。結局その部分を偏差値の結果が出されてもあきらめきれない人が大量に存在するわけです」(19頁)。

OK?ひきこもりOK!

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