The Future Is Unwritten

 今晩出かけたのは、『レッツ・ロック・アゲイン』、『ヴィヴァ ジョー・ストラマー』に続く三本目のジョーストラマーの伝記映画『ロンドン・コーリング』(原題は上記)のため。三本も見るとジョー・ストラマーを語る語り口もなんか固まってきて一種神話化してるのかなと思わないでもないが、そうはいいつつもついつい見に行ってしまう。
 監督のジュリアン・テンプルは、ピストルズの映画『ノー・フューチャー』も撮っていて、そのなかでシド・ヴィシャスを回顧するジョン・ライドンが涙するぐらいだから、この映画でもジョー・ストラマーをめぐる証言ということじゃ、昔の彼女やいとこからジョン・キューザック、ジョニー・デッブまで、他の二作を凌駕している。でも、一番印象に残ったのは、アイルランドで聴いたクラッシュの思い出を語り、クラッシュの解散をなじるボノかな。
 ボクの気分としては、『レッツ・ロック・アゲイン』はクラッシュ以後、メスカレロスで活動するジョーにとてもぐっときた。「一枚目のCDは売れなかった。だが、レコード会社は自分たちのことをくびにしなかった。自分がこのバンドを維持して活動を続けていくためには、赤字をなくさなければならない」。だから、レコード屋を回り、さらにラジオ局を回り、ライブの宣伝をしては、自分の曲をかけてくれるように頼む。当日ライブをやる町を歩きながら、コンサートにきてくれと声をかけるジョー。人はそれを落ち目になった姿だと思うかもしれない。しかし、ジョーは、腐ったそぶりをみせるでもなく、いつも肯定的だ。
 『ヴィヴァ ジョー・ストラマー』では、追い出したミック・ジョーンズとの和解。かつての自分の過ちをここまで素直に語るミュージシャンっていたのだろうか。さらに、時を経て2002年、亡くなる一月前に行われたロンドンの消防士のストの支援ライブで解散以降はじめてふたりの共演が実現する。いかにもクラッシュらしい邂逅。そして、何よりも間に合ってよかった。
 それでいくと『ロンドン・コーリング』でいちばん注目したいのは、THE 101NERSの活動とロンドンのスクウォッティング(住居不法占拠)運動との結びつきを物語る証言や映像だろうか。だが、それはピストルズの登場以降パンク・ムーヴメントに追い抜かれていく。ジョー・ストラマーはパンクスとしては少し年がいっており、実際にも遅れてきたヒッピーだったわけで(当時、ウディとなのっていたそうな)、それがパンクによる「切断」を経て、復活後はパンク以前から変らない部分を取り戻していったように見える*1。ってことは、つぎはジョー・ストラマーがテントを張った『グラストンベリー』か*2
 ところで、ポール・シムノンが出てこないことに何か理由があるの?


 また、正月に読む本が増えるな。

リデンプション・ソング ジョー・ストラマーの生涯

リデンプション・ソング ジョー・ストラマーの生涯

 「ロンドン・コーリング」のヴィデオ・クリップはここで。

*1:とだけ書くと、ジョー・ストラマーのパーソナル・ヒストリーのことのみを語っているように見えるのでちょっと補足。ピストルズにおけるマルコム・マクラレン、この映画でも出てくる、クラッシュにおけるバーニー・ローズを見ればよく分かるように、パンクって多分に演出されたところがあって、ジョー・ストラマーのたどった道を見るとき、あらためてパンクによる「切断」の作られた部分が浮き出てくるように感じられたいうことでもあります。だから、ほんとにシニシストだったジョン・ライドンはさっさとパンクに見切りをつけ、おバカなシド・ヴィシャスは死んで、誠実なジョー・ストラマーは立ち直るのに長い時間を費やすことになった、とでもいいましょうか。

*2:http://www.glastonbury.jp/