細田守「時をかける少女」(アニメ版)

 公開当時の評判がよく見ようと思っていたのに見そびれた作品、というか、これ名古屋でいつ公開されたのだろうか?公開された覚えのない作品がテレビで放映されたので引越の準備の合間につい見てしまう。オススメ。
 学生時代あるいはそれ以前、ふと「この時間が永遠に続いていけばよいのに」なんて感じたことはないだろうか?とても楽しいひとときなのに、それには必ず終わりがあると決まっている。たとえば、「卒業」はしばしば、そうしたひとときの終わりを暗示する主題になる。「アメリカン・グラフィティ」なんてそんな感じの映画だった。
 永遠に続いていくかのようなこのひとときに終わりが来ると分かったとき、もし過去に遡って未来を選びなおすことができたらどうなるだろう?そうやって、このひとときに終わりがこないようにすることができるとしたら。でも、いくら選びなおしたところで、いちど終わりを意識してしまった人間に以前と同じようにふるまうことなどできるだろうか?これは誰かに恋することによく似ているかもしれない。もとから誰かのことを好きだったのに、ふとそれを意識したとたんにもう同じようにはふるまえなくなる。たとえば、思いを意識するまえのひとときがどんなに素晴らしかったとしても。
 この映画でもこの二つの主題が重ねあわせになる。マコトにはチアキとコウスケという二人のキャッチ・ボール仲間がいる(そして、このキャッチ・ボールをはじめ、描き出される日常の風景がすばらしい)。マコトは帰りがけにチアキと二人きりになって告白される。あの楽しいキャッチ・ボールはもう続かない。どういうわけか過去に遡って未来を変えることができる能力を身につけたマコトは、あの告白から逃げようとする。
 だが、この未来の選びなおしは、マコトに次のような意識を植え付ける。自分があそこでああすれば、あるいは、ああしなかったら、未来はこうなる。本来、未来の出来事に責任を持てるヤツなんていない。だが、未来を選び直せるマコトには、起こった出来事が自分の選択に由来するものであるかのように現象し、その責任を背負い込んでしまう。なによりも自分のせいで実は未来からやってきていたチアキが戻れなくなってしまったのだ。
 また、告白の場面を避けるために未来を選びなおしたマコトなのだが、自分が直面するはずの場面を避けたところで、あの告白の記憶を回避することはできない。起こらなかった出来事の記憶がその後の自分の行動を左右するうえに、チアキは未来に戻れない。結局、自分に向けられたチアキの思いと正面から向き合あうことの大切さに思いいたる。それは自分があのとき選べなかった道を選びなおそうとすることでもある。だが、その選び直しは一回きりの選択の重みをかみしめる別れに帰結するだろう。
 もしボクらが終わった後の世界を生きているのだとすれば、考えようによってはボクらのやることすべては選びなおしだ。だとすれば---。まあ、ありがちな「卒業」話だと言ってしまえば、それまでなのかもしれないが、それを今見せられるとき、懐かしさとともに、また違った感慨を抱いたこともまた確かだった。

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