「『放埒の人』はなぜ『花嫁の指輪』に 改題されたか あるいはなぜ私は引っ越しのさい沢野ひとしの本を見失ったか」

 七ツ寺共同スタジオというところで坂手洋二作・演出、劇団燐光群の「『放埒の人』はなぜ『花嫁の指輪』に 改題されたか あるいはなぜ私は引っ越しのさい沢野ひとしの本を見失ったか」を見てきた。沢野ひとしのテクストを組み合わせて作った芝居である。
 舞台は、板を組み合わせて作った少し傾いた台形の箱のうえで展開し、時に複数の人物がからみあう「芝居」っぽい場面もでてくるとはいえ、ほとんど沢野ひとしのエッセイから抜粋した文章を朗読しているようなもので、しかも、沢野と目される人物を初めとして、主要なキャラクターを複数の俳優が一人何役もこなすようなかたちで進んでいく。役者は、誰かを演じているというよりはイタコの口寄せみたいなもので、飛び交うキャラクターをいくつもの受け取る場所のようになっている。
 そんなわけだから、舞台上にいる複数の俳優のあいだを沢野のキャラクターが飛び回ったり、場面が変われば沢野の幼年時代を演じた役者が沢野の息子になったり、沢野の母が沢野の妻になったりする。と、書くといかにも複雑な印象を与えるかもしれないが、さしたる混乱もなくストーリーの展開は明瞭に伝わってくる。それどころか、この芝居らしからぬ展開のなかでしっかりと沢野ワールドが感じられてくるのだから大したものだ。この小屋、こぢんまりとしていてなかなかよいのだが、狭いなか身を寄せてなければならないだけ、見るのにいささか体力を要する。しかし、見ていてまったく退屈しなかった。
 しかも、沢野が憑依して回るのは役者だけではない。沢野は見ているわれわれにも憑依してくる。わたしは、沢野のように女遊びをするわけでもないし、山登りを趣味とするわけでもない。それ以前に、バブル時代はお金がなくて、テニスもスキーもしたことがない。だが、見ているうちに、そんなわたしのなかにも確実にバブル以降の感性が、染みついてきているのだと感じずにはいられなかった。それは、わたしにとって決して愉快なものではないのだが---。それに、やはり、この感性は何よりもあの世代のものだとも思わずにいられないよ(怒りをこめて職場をふりかえりつつ)。

坂手洋二 (1) 屋根裏/みみず (ハヤカワ演劇文庫 7)

坂手洋二 (1) 屋根裏/みみず (ハヤカワ演劇文庫 7)