アイヒマン・ショー

 アイヒマン裁判の映像が「完全」に残っているわけだけど、そういえば、それはどうしてかと言えば、まさに「アイヒマン・ショー」が行われたからですね。だから、もちろん、そこには金も絡んでいる。もちろん、だから、映像がどうということではなく、撮るまでの過程も取り出されている。対照的なのは、そうやって企画をたてたプロデューサーと監督の違いだな。監督はある種のヒューマニズムを信じており、裁判が進行するなかで、アイヒマンが人間らしい表情を見せる一瞬がとれるのではないかと期待していた。しかし、アイヒマンは表情を変えない。それこそ、アーレントが問題にしそうな態度(もしくは、その対極にあるものだ)。他方で、サヴァイヴァーたちが証言を続けるなかで、それまで日陰を生きてきたサヴァイヴァーたちが監督の仕事に敬意を示すことになる。他方で、同じくユダヤ人である監督が抱くイスラエルという国への疑問は誰もまともに応えることができない。