チャイナ・ゲイト

 二本続けてみると、まず、気づくのは女性のきれいなおみ足ですな。あるいは大仏。それはともかく、で、それがナット・キング・コールの足につながる?それから、これもある種のトラウマものである。作戦に参加する外人部隊の兵士はいわば反共連合軍になっていて、それぞれがトラウマを語る。んだけど、それが出てくるシチュエーションってのがそれぞれあって、荒唐無稽なストーリーの細部にはリアリティが宿っている。ただのトラウマ語りになってないんだよね。あと、多分、最初は実映像を入れてますね。なんとなく、『地獄の黙示録』とか思い出してしまった。再映されるようで。フランス人役はフランス人っぽい英語を話します。
 それはともかく、ヴェトナム内戦時にフランスの外人部隊で、ヴェトナムを支援する中国の武器貯蔵庫を爆破に行くというストーリー。だから、チャイナ・ゲイト。この主題化をナット・キング・コールが最初と最後に歌うのだが、このシーンがいいですね。話の設定からしてかなり無理があり、結末も見えてしまうのだが、でも見せられてしまう。
 この地域に詳しく敵側とも交渉のある中国人と米国人のハーフ役、アンジー・ディッキンソンが、やはり米兵とのハーフである息子を米国に送るために、この作戦に協力する。って、あの足で戦場に行くのはありえないと思うのだが、一方、もうこれで両義的な存在である彼女は最後に死ぬんだろうなとも思ってしまう。だったら、ここでやけぼっくりに火がつくというのも分かります。
 というわけで、この部隊を指揮するのが米国人が、アンジー・ディッキンソンの息子の父だけど、息子が中国人顔であることを受け入れられずに、妻と子を捨てた父親だと来ている。コイツのトラウマ感が弱いけど、何しにここに来たのって話にはなるので、この男女は、まあ、お互いにいまでも好き合ってるんだろうなと。でも、どうやったらこいつが自分の子どもを受け入れられるかということについてはまったく説得力がなくて、でも作戦行動の結果最後に受け入れられるようになる。この間にナット・キング・コールが怒るだよね。だって、黒人差別でも同じ構図が再現されそうだもの。とにかく、ナット・キング・コールいいよ。
 で、敵側の中国人将校も同じくハーフで、こちらは彼女と息子を受け入れるという。あの将校はリー・ヴァン・クリーフだったのか。いずれにせよ、どっちでも選べる。分、こっちの方が愛の力は弱く感じられる。でも、どっちが理性的って考えればさ、ふつうは逆を選ぶよね。ってことは、歌にあるとおりどう考えてもチャイナ・ゲイトの先の方がよさげなのだが、恋に走ってしまう「女の愚かさ」というか、トラウマというのか、とにかく破滅のストーリーなのである。我々はその先を見ることができないってか、実際、フランスは手を引き、その後、米国が引き受けてこの戦争に負けることになる。
 この荒唐無稽な映画が1957年の製作、差別や戦争にたいする明らかな批評性も含まれてる。って、考えると二つの映画には荒唐無稽さと並行するようにジャーナリスティクな視線が潜んでいるのである。

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 自伝買おうかな。でも、いつ読もう。
サミュエル・フラー自伝 ?わたしはいかに書き、闘い、映画をつくってきたか?

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