越後妻有アートトリエンナーレ
さて、9年ぶりの越後妻有アートトリエンナーレである。毎回来ようと思っていたのにこんなに間が空いてしまった。しかも、おそろしいことにペーパー・ドライヴァーが運転してしまった。それに、結果的にはなんと悪い日を選んでしまったことかと思うのだが、来てみればけっこう楽しんでる自分がいる。でも、国会前のこともどうしても忘れられなかった。
とはいえ、10年は一昔、暑いより雨がひどい夏。でも、ホントに今日はお祭りでした。ってことはともかく、あの頃とはかなり変わってるな。9年前もかなり人が来ていたけれど、その比ではないし、外国からの来訪者もたくさん。もっぱら中国人だろうと思いますが。スタッフにも外国人が、というか、そもそもこんなに施設に張り付いているスタッフなんていなかったのだ。しかも十日町の各地域ごとにそこをアピールしようとする努力があったりして、地元の方の肩入れがとにかくスゴい。地震もありましたし、それだけ地元に浸透しているんですね。
以前と同じように引き継がれているのは、地元を主題にした作品ですね。そうすると、どこへ行っても円屋根の倉庫をかたどった作品等々があったり、古民家や廃校になった学校や保育園を素材にすればどうしても記憶が主題になってくる。そうすると、新しい作品でも、主題的には、申し訳ないが、これまでのヴァリエーションだだよなとも思ってしまう。決してつまらないというわけではありません。でも、ここも記憶で引っ張るのねとは思ってしまうのです。
記憶ということでは、むしろ、9年前に見た作品を改めて見て、それがどれだけ古るびて、その場の風景になじんでいるかを見る方がむしろ面白かったかもしれません。トリエンナーレが、災害も含めて、これだけ続けば見る方の記憶というものも生まれてくるわけで、それはもちろんこの間にこの地域で起こったことの見聞も含みます、そんな作品が出てきてもいいように思えました。
また、9年前と比べて圧倒的に増えているのはアジア各国の作家による作品で、これらの方が過剰にステレオタイプ化された記憶の線にのることなく、むしろ国境を行ったり来たりするような作品がとても印象に残りました。とりわけ、今回、かなり熱心に回ることになった津南地区の作品はアジア系の作家のしかも新作をみることができてとてもよかったと思います。また、来たいな。