砂川事件と田中最高裁長官

 砂川事件について言われていることが資料とともに確認されている、というよりもこれを基本によそでも確認されているというべきなのだろう。伊達判決が出た後、藤山外相と駐日米国大使のマッカーサー・ジュニアが相談を始めるばかりか、マッカーサーと田中最高裁長官までお話を始めて、マッカーサー・ジュニアにして国務省に「全員一致の最高裁判決が出たことは、田中裁判長の手腕と政治力に負うところがすこぶる大きい」と言わしめている(69頁)。
 とはいえ、布川氏は、これが田中耕太郎が自然法理論に基づいていてなされた可能性があるとも述べている。田中耕太郎は自然法論者だってんですね。一方、伊達判決に日米両国が大騒ぎしたのは、これが新安保条約に影響を与える可能性があるからであり、米軍の日本駐留の合憲性が問題になるからだった。他方で、藤山外相はマッカーサー・ジュニアと旧安保条約の第三条に「自国の憲法的制約の範囲内で」といった文言を挿入する可能性について打診している。そして、実際そうなっている。してみれば、昨日、紹介した本の記載とは異なり、この文言は少なくとも当初は現行の憲法と新安保条約の整合性をとるために作られた苦心の文言だったのかもしれない(ただし、その文言から読み取れる含意はまた別の問題である)。
 そして、こうしてみると、砂川事件を引き合いにして集団的自衛権の行使の合憲性を引き出そうとする現行政権のあり方は、当時の新安保条約の締結にあたり、それを憲法といかに整合させるかという努力をすべて無にするようなまねとしていると言ってよいのではないか。言いかえれば、情けないながらも保つことができた岸時代の過去の蓄積すら水の泡にするような体たらくであるように思える。「おじいさんと同じ」どころではない。もう、憲法との整合性を考える必要もなければ、つまりは、国益を考える必要もなく、米国の要請に応える法制度を作ろうとしているだけのことになるのではないか。
 

砂川事件と田中最高裁長官

砂川事件と田中最高裁長官