アメリカン・スナイパー

 アメリカン・スナイパー。最初は『ハート・ロッカー』かしらと思ったら、まったく違った展開になった。こんなに単純に志願するんだとか、最後に山のように掲げられた星条旗を見るといささか複雑な気分にはなる。多分、見る者によって「政治」的な評価は分かれるだろう。
 前半は訓練の話から、ちょっと軽めの戦争娯楽映画のような調子ですすみながら、最後の戦闘シーンは圧巻。しかし、それよりもスナイパーの視線が気になる。なにしろ、最初に撃つのが子どもだし、だからこそカイルは地上戦に加わることを望むことになる。一方で、仲間も殺される。ちなみにエンドロールは無音です。
 スカイパーの視線は、地上部隊の兵士には見えない。言ってみれば、国の兵士を守る視線だ。そんなシーンから切り替わって、同じ視線からカメラがクレーンであげられていくのにすごいと思った。スナイパーの視線より高見に立つことができるのは誰であろう。ちなみに、主人公は「神、国家、家族」と言っていた。この先、兵士が赴くところにあらかじめカメラが固定されて待ち受けている。そうすると、これは誰が見ているのだろうとどきどきしてしまう。
 実際、彼にはライバルになる「ムスタファ」と呼ばれるスナイパーがいて、ヨルダンのオリンピック選手だったらしく、カイル同様に家族がいる。言ってみれば、敵にも同じ視線があるわけですね。主人公が表をさぐろうとして差し出した鏡を敵のスナイパーが撃つシーンは印象的だ。そして、主人公が携帯電話で家族とつながっているとすれば、このムスタファは携帯電話で戦場とつながっている。
 戦場に繰り返し戻るのはなぜか、国を守るためか、子どもを撃ってしまったからか、仲間をやられたからか、ムスタファがいるからか、実のところよくわからない。いずれにせよ、家族には心はいつも戦場にいる。実際、帰国しても居場所がない。除隊したとに、家に帰らず、バーでぼーっとしている姿はまさにそんな感じ。
 そんな彼が医者の一言で心に傷を受けた兵士に会うようになる。「国内にも守るべき兵士がいると。戦場でカイルはレジェンドと呼ばれた、しかし、そんなことはカイルにはどうでもよいことだった。しかし、国内に帰ってからは自分をレジェンドと呼ぶ、傷ついた兵士の相手をするようになる。自分も同じ傷を抱えながら、レジェンドとして生きるのだ。だとすれば、彼の死は戦士であるということになるだろう。

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)